日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

大河ドラマ

義経 第46回「しずやしず」その2

義経 第46回「しずやしず」 - 日本史日誌その1 義経潜伏の情報 いつの間にか北条時政が鎌倉に帰還しておりますが、なんら説明もなく・・・。 その北条時政は義経追捕の最前線で指揮を執っていたわけで、頼朝の御前で義経に関する情報を語っております。しか…

義経 第46回「しずやしず」

おーい・・・もうあと残り3回で、しかも次回は勧進帳でまるまる潰すようですし、ホントにちゃんと終わるんですかねぇ? 中途半端なところで終われば、それはそれで伝説の大河ドラマとして記憶に残るでしょうけど。 何故か居残りの磯禅師 娘の静御前に伴って…

義経 第45回「夢の行き先」その2

義経 第45回「夢の行き先」 - 日本史日誌その1 地下潜伏の義経 ドラマでは大和から伊勢・伊賀を経て近江に入り、さらに洛中に潜り込みましたが、実際にはどこをどのように辿ったのかは謎。 ただ、延暦寺を始めとして義経を匿っていたという確かな情報があり…

義経 第45回「夢の行き先」

後白河院が権力を巧みに守り続けた? 折角、先週*1は「大天狗」が皮肉であることを表現していたのにもかかわらず、今週の番組冒頭ではそんなことはすっかり忘れていつもの路線に逆戻りとはガッカリ。 だいたい今回の後白河院って、見た目は「妖怪」のようで…

義経 第44回「静よさらば」その2

義経 第44回「静よさらば」 - 日本史日誌その1 義経追討の院宣と解官 没落から僅か一週間後の文治元年(1185)11月11日に源行家・義経追討の院宣が畿内近国に出されています*1。また大物浦の遭難の翌日11月7日には伊予守・検非違使を解官*2。 早すぎです。九条…

義経 第44回「静よさらば」

平知盛の亡霊が海上に出現したり、鬼一法眼が妖術を使って助太刀したり、と今回はファンタジー色強すぎ(笑)。 それにしても、残り少ないので話飛ばしまくりんぐ。毎年恒例とはいえ、やっぱ気になりますわねぇ。 義経没落 挙兵から僅か半月後の文治元年(118…

義経 第43回「堀川夜討」

土佐坊昌俊祭ですよぉ〜♪ 渋谷金王丸→土佐坊昌俊? 番組冒頭でも紹介していたように、土佐坊昌俊の前身は渋谷金王丸であるという伝承があります。 渋谷金王丸は『平治物語』に出てくる人物で、源義朝の小姓として東下りに付き従い、主君が討たれると敵の囲み…

義経 第42回「鎌倉の陰謀」

義経の所領は全て没収されたのか? 没収記事を載せる『吾妻鏡』元暦二年(1185)6月13日条によれば、義経に与えられていた平家没官領*1が悉く没収されたとありますが、それが義経の所領全てであったのかどうかまでは分かりません。 また、義経謀反の理由を載せ…

太平記 第30回「悲劇の皇子」

前回の護良親王逮捕&鎌倉護送から、あっという間に半年後の建武二年(1335)6月に話が飛んで、西園寺公宗(長谷川初範)らの謀議、中先代の乱勃発、足利軍の敗退、護良親王(堤大二郎)暗殺と続いて、征夷大将軍と関東下向を望む足利尊氏(真田広之)が参内し…

義経 第41回「兄弟絶縁」

追放しておいて謀反が心配?! は? 寝言は大概にしてくれ・・・。 何度も言うように、これは腰越状的理解の不自然さが原因。頼朝は義経を見放したわけではなく、義経の望むような勲功を認めなかったのみで、むしろそれを不満に思った義経が次第に離反へと傾…

義経 第40回「血の涙」

もう残り10回を切りましたか・・・終わりよければすべてよし、と言いますから何とかラストに向けてガンバッテ欲しいところ。 さて、従来の腰越状的理解が虚構であることを既に指摘しているわけですが、今回のストーリーはそれに基づいたものですので、いまさ…

太平記 第29回「大塔宮逮捕」

護良親王タイーホ。 建武元年(1334)10月22日。翌月、鎌倉へ護送されています。 この事件で最も注目されるのは後醍醐天皇の立場。ドラマでは勝手な行動を取る護良親王を見かねて致し方なく捕らえることにした、という描き方をしておりましたが、勝手な行動を…

太平記 第28回「開戦前夜」

ここのところまたご無沙汰してしまったので溜まる一方です。年内に見終われるかな?(^^; 前半は、陸奥に下った北畠親子に対抗すべく、足利尊氏(真田広之)が参内し、後醍醐天皇(片岡孝夫)の勅許を得て、足利直義(高嶋政伸)が関東の支配を任されて鎌倉に…

義経 第39回「涙の腰越状」

後半15分ほどがまたもや回想シーン。うーん。 ひとまずストーリー批評はさて置いて、『腰越状』を中心に考察するとしましょう。 腰越到着から腰越状までの義経 『吾妻鏡』の記事から列挙してみます。すべて元暦二年(1185)5月の出来事。 5月15日 酒匂宿到着、…

義経 第38回「遠き鎌倉」

景季タンとの仲良し設定もこれまで 今まで数々の思わせぶりな設定がありましたが、それらを伏線として使用することなくそのまま打ち捨ててきた過去を思えば、義経と梶原景季の仲良し設定も結局そのまま投げっぱなしで終わる可能性が高そうですね。単に腐女子…

義経 第37回「平家最後の秘密」その2

義経 第37回「平家最後の秘密」 - 日本史日誌 再び「後白河院のお手紙」問題の件 この件に関して、『夜盗虫の朝寝坊』さんと『徒然独白 - 手鞠のつぶやき』さんが言及して下さいました。 手鞠さんは書状文面が映し出されたシーンのキャプチャ画像を載せて下…

義経 第37回「平家最後の秘密」

後白河院よりお手紙が届きました 平家追討を賞したお手紙。 ということは、元暦二年(1185)4月3日の夜に義経の使者が京都に到着している*1ので、ドラマの時間軸ではそれ以降ということになりましょうかね。 それはさておき、録画されている方はこのお手紙をよ…

義経 第36回「源平無常」

先週放送分。前半は総集編だし、後半も特に・・・。 壇ノ浦の戦いから京都凱旋までの動きは今週分と併せてまとめるということで

太平記 第27回「公家か武家か」

公家と武家とを二極分化して対立するものと捉える見解はちょっと古いかな。 さて時は元弘三年(1333)秋、奥州で北条残党の反乱が起き、その鎮圧のため陸奥守北畠顕家(後藤久美子)とその父北畠親房*1(近藤正臣)が下向することになった。討伐軍には武家が、…

義経 第35回「決戦・壇ノ浦」

壇ノ浦の戦いってことで、中盤のヤマ場・・・のハズなんですけど、下手に小細工しすぎたせいか、やっぱり盛り上がりに欠けますなあ。 あれこれとオリジナル設定を組み込むより、素直に『平家物語』のストーリーを基本ベースにした方が良かったんではないです…

太平記 第26回「恩賞の波紋」

約2ヶ月ぶりの視聴。なんかもう溜め込みすぎて大変なことになってますが、少しずつ消化を図ります。 冒頭、恒良・成良・義良の幼い三親王登場。いずれも阿野廉子(原田美枝子)の所生。 で、今回のお話はその義良親王*1を奥州経略を命じられた北畠親房(近藤…

義経 第34回「妹への密書」

今度はゴマキ、いや廊の御方祭りですな。何でいままで使用されずにきた「廊の御方」の呼称が今更連呼されるに至ったのかは謎。 そんなこんなで、平家陣所の彦島にいる廊の御方のもとに喜三太が義経からの密書を届けたり、オババが呑気にも戦見物に京都から西…

義経 第33回「弁慶走る」

弁慶祭りっすか。 ストーリーとしては、熊野別当湛増を源氏方へ引き込むだけという単純なものですが、うだうだとオリジナル設定を挟み込むより、湛増と弁慶が親子であるという伝承を活かした方が良かったのではなかろうか。 そうでないなら、わざわざ二人を…

義経 第32回「屋島の合戦」

前半は那須与一の、後半は佐藤継信のための回で御座いましたな。 一ノ谷の戦いのとき*1同様に腰を据えてお勉強しようとも思っていたのですが、何だかやる気が湧かなくて・・・。うーん、どうにもテンションが上がりません。夏バテかしら。 近藤親家の参陣 ん…

義経 第31回「飛べ屋島へ」

後白河院の意向は 義経の追討使派遣にあったのか、それとも引き留めにあったのか。『玉葉』元暦二年(1185)2月16日の伝聞記事によれば、院近臣高階泰経が使者として渡辺にいた義経のもとに使わされ、発向を制止しようとしている。となると後白河院は義経の追…

義経 第30回「忍び寄る魔の手」

んー、相変わらずグダグダな感じなんですけど、後白河院が義経にちょっかいを出す場面は面白うございました。平幹二朗氏が活き活きと輝いてますよ。 奥方河越重頼息女の扱い 何かもー凄いよそよそしい関係なんですけど・・・。このままだとこりゃ平泉まで連…

義経 第29回「母の遺言」その3

義経 第29回「母の遺言」 - 日本史日誌 義経 第29回「母の遺言」その2 - 日本史日誌 ここまでのところ、自由任官問題について踏み込んで言及されている方は見当たらず。かくいう私も踏み込みきれてはいないのですが、だからこそ気になるってもんだったりしま…

義経 第29回「母の遺言」その2

河越太郎の娘の名前って・・・ もともとは、「良子(ながこ)」という設定だったんですよね。 →http://www.nhk.or.jp/drama/html_news_yoshitsune.html すっかり忘れておりました、というか創作なんでぶっちゃけどうでもいいやと思ってたんです。ゴメンナサ…

義経 第28回「頼朝非情なり」

一週間遅れなので、なるべく簡潔に言及しましょうか。 平重衡の鎌倉連行に伴う諸将の動き 『吾妻鏡』『玉葉』によれば、寿永三年(1184)3月10日に京都を出立。頼朝の申請によるもので、梶原景時が引率。3月27日に伊豆に到着し、翌日面謁しています。 もとより…

義経 第29回「母の遺言」

源範頼・源広綱・平賀義信の国司任官 『吾妻鏡』によれば、元暦元年(1184)5月21日に頼朝が推挙の書状を送り、6月5日に除目が行われ、6月20日に結果が届き、翌日3人を召して伝えた、となっています。 さて、ドラマではこの除目が一ノ谷の戦いの恩賞という位置…