論文
今日も引き籠もって論文紹介。 2009年の論文。徳川慶喜退隠直後の旧徳川将軍家における田安慶頼と天璋院(篤姫)の動向について言及しています。 そして天璋院については仰天行動が明らかに。奥羽越列藩同盟の盟主に担ぎ上げられていた輪王寺宮宛に、新政府…
今日も引き籠もりだったので、久しぶりに論文紹介でも。 2009年の論文。天正九年(1581)とされてきた羽柴勢の阿波出兵は、根拠とされてきた文書の年次比定が誤りであり、実際には翌年の天正十年(1582)本能寺の変後であるとのこと。 また、淡路出兵については…
5年前、2003年刊行の論文。テーマは頼朝代官・京都守護としての義経の職務について。 義経と範頼の役割の違いについての指摘が興味深い。 戦場では常に兄範頼は大手、弟義経は搦手を指揮することからも明白なように、範頼が義経の上位に位置する。しかし義仲…
真田幸隆の実名は、正しくは「幸綱」である、とする説が近年定着しつつあります。確かな史料においては「幸綱」とあり、「幸隆」は見えない、というのがその根拠なのですが、それに待ったをかけた論文。 まず「幸綱」と見える史料については、2つしかないと…
三好氏の権力基盤と阿波国人/天野忠幸/年報中世史研究(31号) 将軍の任右大将と『吾妻鏡』/高橋典幸/年報三田中世史研究(12号) 天正後期秀吉・家康の政治的関係と「取次」/片山正彦/日本歴史(721号) 家光政権下の大名茶の湯/斎藤和江/日本歴史…
娍子立后に対する藤原道長の論理/服部一隆/日本歴史(695号) 清華家「大炊御門家」の成立/久保木圭一/日本歴史(697号) 女帝後桜町天皇の践祚とその目的/野村玄/日本歴史(701号) 徳川家康の隠居/大嶌聖子/日本歴史(702号) 称徳女帝の「遺宣」…
武田信玄晩年の遠江・三河侵攻に関する論文。 鴨川達夫『武田信玄と勝頼―文書にみる戦国大名の実像 (岩波新書)』の成果を継承、発展させた考察となっています。 まず元亀三年十月以前に武田氏による遠江・三河侵攻はなかったこと 次に元亀三年十月以降の武田…
長宗我部盛親といえば、関ヶ原の戦いで西軍に属しながら何ら働きもないまま土佐へ逃げ帰り、挙げ句の果てにノコノコと上坂して敢えなく改易処分となったことでお馴染みですね。とはいえ何の見通しもなく上坂したわけではありません。家康に直接謝罪すること…
北条氏権力と都市鎌倉作者: 秋山哲雄出版社/メーカー: 吉川弘文館発売日: 2006/12メディア: 単行本 クリック: 3回この商品を含むブログ (2件) を見る軍需物資から見た戦国合戦 (新書y)作者: 盛本昌広出版社/メーカー: 洋泉社発売日: 2008/05メディア: 新書購…
斎藤義龍が一色苗字を名乗ったというのは軍記類か何かの与太話かと思っていたのですが、そうではないようです。 それで一色苗字を称した理由について考察しているのですが、いまひとつ腑に落ちません。土岐氏の後継者であることアピールするためという説を否…
高坂昌信の名で知られる春日虎綱に関する昨年の論文。 既に『篤姫』も始まって、完全に時機を逸してしまいましたけど、復習ということで(^^;大雑把に内容を紹介すると、まず系譜に始まり、それから香坂氏継承の経緯と時期、海津城の築城時期、海津城代として…
伊勢宗瑞(北条早雲)の伊豆乱入の時期と、乱入後も足利茶々丸は直ちに討ち果たされることなくその活動が続いていたことを明らかにし、堀越公方府体制の分裂について論じた1994年の論文。 この十年ほどの間で早雲研究が大きく進む端緒となった、という評価*1…
本稿では武田家「御一門衆」と領域支配の関係について検討を行った。戦国大名においては、一門が領域支配を委ねられるという印象があり、武田氏における一門像・領域支配論もそうしたイメージのもとで展開される傾向にあった。しかしながら、武田家「御一門…
副題は「毛利輝元の行動と思惑」。西軍の盟主に担ぎ上げられた「凡庸な人物」または「被害者」として捉えられてきた彼の動向についての再検討。 まずは石田三成襲撃事件についてから。新出史料の「厚狭毛利家文書」に拠って、この時点で既に毛利・上杉・奉行…
1993年の論文。副題は「天正十八年の「奥羽仕置」を中心として」。 豊臣秀吉の天下統一最終段階に於いて、小田原参陣を関東・奥羽の諸大名が所領安堵を受ける絶対条件とする通説に異議を唱えた論考。 最上義光や岩城常隆のように遅参を認められていた例や、…
700号記念特集『日本史の論点・争点』のテーマのひとつ。論争の経緯や現状、そして今後の展望などをまとめたものなので、論文ではないですが、とりあえず[論文]にカテゴライズ。 当テーマは言わずと知れた神護寺三像の像主比定に関する論争に関するもの。論…
1988年に発表された小論考。 北条氏直の弟氏房は従来の通説によると、三船台の戦いで戦死した太田氏資の娘を娶り、岩付太田氏の名跡を継承して太田氏を名乗った、とされてきました。 しかし氏房が「太田」を称していた時期が確認できる史料はなく、岩付太田…
1986年、20年前に発表された2ページの小論。昨年末チェックしていたものを*1、遅ればせながら読み終えました。 北条氏秀と上杉景虎が全くの別人であるとする論考で、その根拠として挙げられている史料は『北条家過去帳』。 武州江戸北条治少輔殿 蓮乗院取次 …
2003年の論文。「はじめに」にて先行研究の紹介があります。以前より興味のあるテーマでかつ、いずれも未読なのでチェックしておこう。 黒田基樹「久野北条氏に関する一考察」(『戦国大名北条氏の領国支配 (戦国史研究叢書)』) →上杉景虎が武田信玄の養子…
今年のはじめより、頼朝の書状に見える「大天狗」とは一体誰を指すのかという問題が私の中で長らく懸案でありました。 日本史日誌−「日本国第一の大天狗」とは? 義経 第44回「静よさらば」その2 - 日本史日誌 とっかかりのないまま時間が過ぎてしまいました…
だいぶ遅くなってしまいましたが、読みました。 予めおおよその内容を知ってはいましたが、それでもやはり期待に違わぬ刺激的な論文でございます。 義経の四国出陣は兄頼朝の意向を受けたものに非ず! 論旨を簡単にまとめると(簡単すぎ?)こんな感じかな。…
内容はちょっと私には難しいので、結論だけ掻い摘んでみます。 室町幕府初期において統治権的支配権を担っていた足利直義を支えた勢力に吏僚層があることを指摘。その吏僚層と足利直義との接点を、足利直義が宗良親王を奉じた鎌倉将軍府に求めている。 鎌倉…
以前読んだ六角氏の系譜に関する論文に参考文献として挙げられていて、それ以来気になっていた論文。先日ようやく入手して読みました。 まず前提として、六角氏の系譜問題があります。近江守護六角高頼には長男氏綱と次男定頼がいて、系図などでは氏綱の系統…
近江国の守護というと六角氏と京極氏の半国守護かと認識していたのですが、そう単純なものでもないようです。六角氏の近江守護は問題ないようですが、京極氏の立場については様々な説が提示され論争となってきたとのこと。ふんふん、じゃあ近江における京極…
一ノ谷の戦い後に起きた、平田家継一族が中心とする伊賀伊勢平氏の反乱事件と、平信兼親子の関わりについての考察。 反乱鎮圧後、平信兼*1は出羽守を解官され、息子たちは頼朝の命を受けた義経の邸宅に招かれて誅戮されている。従来、これらは反乱に与同した…
まず冒頭部で、上杉顕定以降の山内上杉氏歴代当主(関東管領)が官途ではなく四郎だの五郎だのの通称を名乗っていることを指摘され、「そりゃ意外」と興味を惹かれる。 「どうして?」の疑問に対しては、永享の乱後に綸旨によって任命されたり、錦の御旗が与…
まずはじめに「鎌倉北条氏得宗は、なぜ将軍にならなかったのか、あるいはなれなかったのか」という設問を投げかけ、それに対して北条義時の武内宿禰再誕伝説を紹介し、 得宗は、武内宿禰の再誕である北条義時の直系なるが故に、鎌倉将軍の「御後見」として、…
最新号の論文。 土佐坊昌俊による源義経襲撃事件についての考察で、ヒジョーに興味深い内容です。 掻い摘んで言うと、土佐坊昌俊は源頼朝の命令による刺客で、襲撃を受けた義経は挙兵を決意し、後白河院の院宣を乞うた、というのが『吾妻鏡』や『平家物語』…
戦国史研究〈第49号〉作者: 戦国史研究会出版社/メーカー: 戦国史研究会発売日: 2005/03メディア: 単行本 クリック: 6回この商品を含むブログ (2件) を見る豊臣政権における取次に関する研究は、近年活発になってきていて、個人的にも興味のあるテーマです。…
2000年の論文。藤田氏は本能寺の変足利義昭黒幕説で有名なひと。本能寺関連以外のこともやってるのね、と思ったら、内容の半分は地元三重(伊勢・伊賀)の大名藤堂高虎が大坂包囲網形成に果たした役割について。もう半分は切支丹問題を岡本大八事件や大久保…