日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第46回「しずやしず」その2

義経潜伏の情報

いつの間にか北条時政が鎌倉に帰還しておりますが、なんら説明もなく・・・。
その北条時政義経追捕の最前線で指揮を執っていたわけで、頼朝の御前で義経に関する情報を語っております。しかし、美作で義経が斬られたというのはともかく、興福寺延暦寺に潜伏していたという情報まで噂レベルの話で片づけるのは如何なものか。どちらの情報も確かな筋からのものであり、信憑性は高いと思われる。ただ、延暦寺に関しては文治二年(1186)7月から閏7月の、興福寺に関しては9月から10月のことであり、北条時政が帰還した4月よりだいぶ後の話であることは付け加えておかねばなりますまい。

静の舞

出産と順番が逆転しとる。静御前をより強い女に見せるための演出ですかね。
鶴岡八幡宮回廊*1にて舞ったのは、『吾妻鏡』文治二年(1186)4月8日条に見えます。有名な記事ですね。
現在の鶴岡八幡宮舞殿のような舞殿で舞ったかと思われがちですが、そうではなく舞殿も当時無かったというのは有名な蘊蓄ですね。

*1:現在、鶴岡八幡宮に回廊は無い。