日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第7回「夢の都」

1日遅れになってしまった。


今回もまだ承安元年(1171)で、第4回*1から変わってない。


安達盛長を連れて釣りをする頼朝。そうそう、やっぱり盛長と連れだって出かけてくれないとね。二人の会話から盛長が比企尼の娘を嫁にしていることが説明される。しかし、思えば比企尼についてドラマ内で説明していないような。知らずに見ている人は、「なんであの尼さんは頼朝と親しくしてんだ?」と疑問に思うのではなかろうか。ま、一緒に住んでること自体はおかしいんですけど。


おやや、牧の方登場。田中美奈子じゃないか、懐かしい。以前はトレンディドラマの女王的存在だったけど、最近どうしていたのだろう? それに昔より険が取れて穏やかな感じになったような。
さて、それはともかく牧の方。言わずと知れた北条時政の後妻であるが、まさかこんなに早く出てくるとは・・・『Honey Garden of Sky』さんも意外に思われてますね。時政と牧の方の婚姻は、頼朝挙兵後とする説*2が妥当であるかと思われます。
とはいえ、『草燃える』でも牧の方は早くから登場してましたっけ。あのとき演じていたのは大谷直子さん。特別キレイっていうわけじゃないけど何だかそそられる感じがしましたね。『北条時宗』にも登場していたけど、ちっとも変わってなかったのが何だか不思議な感じがしたなぁ。
話がそれてしまったが、大河に近年の研究成果が反映されることはあまり期待できないということ。時代考証もねぇ・・・奥富先生が前回務めた『北条時宗』を思い起こせば、有効に機能しているとは思えない。と、こんなことばかり書いていると「文句ばっかり言って」と思われてしまいそう。齟齬があってもこうしてネタに出来るし、勉強にもなるしで、ホントは大いに楽しんでいるのですよ。(^^;


吉次にわがままを言って、福原に連れてきてもらった遮那王。初めて海を見た遮那王。思わず吉次と微笑み見つめあう遮那王。なんなんだこの二人旅は(w
で、時同じくして平清盛後白河院・建春門院も福原に来ている。承安元年(1171)の福原行幸は10月23日から11月1日に帰洛するまでの間。会話からすると夏のイメージだが、旧暦でこの日付だと初冬ではなかろうか?
清盛の娘徳子入内が話し合われている。徳子入内まで2ヶ月を切っている。急げ!


福原で夢の都造りって言ったって、9年後の遷都のときに準備不足かつ手狭ゆえ頓挫してるんですけどね。しかも伊丹や明石を代わりの候補地に挙げられる始末だし。それにあの映像みても福原の町造りが進んでいるようにはとても・・・(^^;


今回は書きたいことが多すぎる・・・残りはまた明日。

*1:義経 第4回「鞍馬の遮那王」 - 日本史日誌

*2:詳しくは本郷和人・細川重男「北条得宗家成立試論」(東京大学史料編纂所研究紀要第11号)、あるいは『新・中世王権論―武門の覇者の系譜 (人物選書)』参照のこと。