日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

三渓園 夏の古建築全棟一挙公開(開港150周年記念)

横浜の本牧地区に国指定名勝三渓園はあります。
ここには広大な敷地に京都や鎌倉などから多くの古建築が移築されており、さながら古建築のテーマパーク。というわけで以前より訪ねてみたい場所でしたが、ズルズルと先延ばしにすること早幾年。
しかし「今回初めて園内すべての建物を公開しちゃいます!」と聞いては、さすがの私も重い腰を動かさずにはおれません(^^*ゞ


(8/11更新完了…冒頭写真は臨春閣第三屋)


ちなみに園内の古建築は全17棟。そのうちの10棟*1重要文化財、3棟が横浜市指定有形文化財、残り4棟が無指定。
本来はフルコンプリートで御紹介したいところですが、指定文化財重視のあまり無指定2棟(蓮華院・林洞庵)を撮り逃してしまいましたので、その点については御了承くださいm(__)m

旧天瑞寺寿塔覆堂(重文)


天正二十年(1592)、豊臣秀吉が母大政所の大病平癒を祝って建てたもの。元は京都大徳寺内の天瑞寺にありました。
内部は空っぽ。収められていた石造の寿塔は同じく大徳寺内の竜翔寺にあるとのことです。

月華殿(重文)



徳川家康伏見城に建てたと伝わる。その後、宇治の三室戸寺金蔵院を経て当地へ。
室内は立入禁止でしたが、廊下から眺めることが出来ます。

金毛窟


原三渓(三渓園を造った戦前の実業家)が大正七年に建てた茶室。月華殿に連結しています。
京都大徳寺山門(金毛閣)の高欄手すりを床柱に使っているとのこと。しかし明治四十二年に重要文化財に指定されている大徳寺山門の部材を使用できるものだろうか?

天授院(重文)



鎌倉建長寺の塔頭心平寺の地蔵堂で、三渓園に移築後は原家の持仏堂として使用されていました。

聴秋閣(重文)



徳川家光が二条城内に建てたと伝わる楼閣建築。春日局に下賜され、その子孫の稲葉家の江戸藩邸を経て当地へ。
涼やかで小粋な建物ですが、残念ながら室内は立入禁止でした。

春草廬(重文)


元は月華殿付属の茶室で、織田有楽斎が建てたと伝わる。
三室戸寺金蔵院より月華殿と共に移築されましたが、何故か離ればなれになっています。ここも室内は立入禁止。

臨春閣(重文)








園内で最も人気があったのがこちら。後回しにせず、最初に行っておくべきだったかも。
それでも室内が立入禁止のお陰で、撮影はそれなりにこなせました。
ちなみにこの建物は、紀州藩徳川頼宣が建てた別荘で、和歌山県岩出市から移築されました。第一屋・第二屋・第三屋と3棟が連なって構成しています。

旧燈明寺三重塔(重文)


高台に聳え、園内のシンボル的な存在の建物です。
初層のみが公開されていました。というか、そもそも階段がないので上へは登れません(>_<)
そして狭いので、内部の様子を撮影するのに悪戦苦闘。結局こんなんしか撮れませんでしたが。

旧燈明寺本堂(重文)





京都府加茂町に存在した燈明寺(廃寺)より三重塔と共に移築されました。


ちなみに、この燈明寺跡は2006年に訪ねています。今も残る御霊神社本殿(重要文化財)が目当てでしたが、本堂跡も見学しました。小さな鉄筋コンクリ製の収蔵庫が哀愁を漂わせていましたっけ。


京都奈良編/4日目/笠置町・加茂町 - 日本史日誌
燈明寺本堂跡(御霊神社)

横笛庵



平重盛に仕えていた滝口入道との悲恋で知られる横笛(建礼門院の侍女)の像を安置していたことがその名の由来。しかし像は戦災で焼失。

旧矢篦原家住宅(重文)







岐阜県白川郷に建てられた合掌造りの建物。ダム建設によって当地へ移築されました。
邸内は全面的に見学可能。階段を登って屋根裏部屋も見てきました。

東慶寺仏殿(重文)


縁切寺として有名な鎌倉東慶寺からの移築。
堂内は空っぽ。昭和初期の古写真には正面の台座に仏像が載っていたので、記念館にでも収蔵されているのかと思いきや、聞いた話によると行方不明らしい・・・戦後のどさくさに盗まれたとか何とか。

鶴翔閣(市指定)





原三渓が自邸として建てた住宅。
ここだけ冷房がキンキンに効いています。散策中、暑さに負けた方はここに逃げ込むと宜しいかと。

御門(市指定)

京都西方寺より移築された薬医門。

白雲邸(市指定)






原三渓が隠居所として建てた数寄屋風建築。

*1:臨春閣が3棟からなるので、正確には10件12棟になります。