北政所おね/田端泰子/ミネルヴァ書房
北政所おね―大坂の事は、ことの葉もなし (ミネルヴァ日本評伝選)
- 作者: 田端泰子
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2007/08
- メディア: 単行本
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ミネルヴァ日本評伝選の一冊。
相変わらず細かい誤りが目につくのは何とかして欲しいところ。まあそれはそれとして、他にも不満点があるので列挙しておきます。
天正九年*1に堀秀政が長浜城主になったため、北政所は「姫路に居を移したのではなかろうか」と推論しているのですが、それでいて本能寺の変当時に北政所が長浜城から避難したことについては、「本能寺の変の頃、おねは長浜城にいたようである」と記すのみで、その理由についてはまるで無関心。
そもそも堀秀政の長浜城主就任は疑問視されていたように記憶していますが*2、そうでないと主張するのであればきちんと整合性をとるべきでしょう。せめて何らかしら考えている素振りくらいは見せないと話になりません。
また、参考文献に福田千鶴『淀殿―われ太閤の妻となりて』を挙げながら、淀殿を秀吉の正妻とする主張については一切触れず、「側室」とのみ記しているのも如何なものか。わざわざ参考文献として挙げたのですから、どのように考えているのかくらいは記して欲しかった。
- 「おねが中立の立場を貫かず、ついには三成ではなく家康に味方しようと決心したのは(以下略)」(p.208)
- 「危険が迫った時、准后のもとに身を寄せたのは、おねが東西両軍のどちらにも味方していなかったことを示すものである。」(p.227)
と、以上のように食い違う記述がなされているんですけど・・・これはいったい?(゚д゚)