日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

松殿基房の帰洛


と、これまで備前に配流されていた前関白松殿基房がいつ帰洛したのかについてあれこれと考えていたわけですが、『夜盗虫の朝寝坊』さんのところで紹介されていた『徒然独白 - 手鞠のつぶやき』さんの記事に気になる一文を発見。

治承3年のクーデターの際に失脚して、大宰府へ流される所だったのを(名目上は太宰権帥に左遷)、出家と引き換えに近場の備前国(岡山)に変更してもらい、翌治承4年12月(南都攻撃の頃)には早くも京に召還されていました。
敵か?味方か? 身内論争 ―『義経』vol.23「九郎と義仲」 : 徒然彩時記

な、なにー?!!(ガーン)


先入観で、寿永二年(1183)7月25日の平家都落ち以後のことだとばかり思い込んでいました。(^^;
これって『平家物語』なのかな、と思って調べてみますとビンゴ。ただし、高野本『平家物語』では治承四年(1180)12月ではなく翌養和元年(1181)7月のこととなっており、この月に改元があって、それに伴う大赦を受けて帰洛したとのこと。『平家物語』でも他の異本はどうなっているのだろう。
ちなみに、『公卿補任』では治承4年12月となっているらしい(未確認)のですが・・・あとは『玉葉』や『吉記』などの公卿の日記がどうなっているのか気になるところです。