日本史日誌

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近江・大津になぜ都は営まれたのか/大津市歴史博物館 編/サンライズ出版

近江・大津になぜ都は営まれたのか―大津宮・紫香楽宮・保良宮

近江・大津になぜ都は営まれたのか―大津宮・紫香楽宮・保良宮

2003年11月に大津市で開催されたシンポジウム(報告・講演・討論)の記録集。


天智天皇の大津遷都について、「白村江の戦いの敗北によって唐や新羅の侵攻を恐れたため*1、難波や飛鳥より内陸の近江へ後退したもの」とする解釈が一般的だと思いますが、このような消極的評価から一歩進んで、日本海を通した高句麗*2との連携をも視野に入れたものとする評価が新しくて興味を惹いた。
しかも大津京跡より出土した瓦は、高句麗と同じ製作方法によるもので、日本ではここでしか発見されておらず、高句麗との提携を裏付けている模様。


さらに藤原仲麻呂が同じく大津に造営した保良宮も、藤原仲麻呂新羅征伐計画および蝦夷統治との関係性から考えるべきではないかとして、日本海ルートの重要性を再評価する動きもなかなか興味深い。

*1:九州から瀬戸内にかけて築かれた朝鮮式山城や、高安城などの存在からそのように推測される。

*2:残念ながら大津遷都の翌年に滅亡。