日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第9回「宿命の子」

先々週放送分です。これ以上溜めるとヤバイですね。ただ観るだけなら簡単なんですが、言及するのがナカナカに労力を要するもので・・・(いいわけ)。


病に倒れた足利貞氏緒形拳)。先の長くないことを知った貞氏は、嫡男足利高氏真田広之)に、自害した父足利家時(小形竹松)が遺した伝説の置文の話を伝える。
足利家時の死は、北条時宗の死から2ヶ月後の政情不安な時期のことで、翌年に起こった霜月騒動に関係があるとみられる。ドラマでは北条に恨みがあるような演出となっていたが、当時肝心の得宗北条貞時はまだ年少であり、霜月騒動の性格を考えれば恨みとするは平頼綱らのような気もする。
あと、この「子孫に天下を取らせ給へ」という有名な置文の件は、足利一門で室町時代初期に活躍した今川了俊の『難太平記』が典拠でしょう。
高師直柄本明)が初登場。こちらも代替わりということだが、親父の高師重(辻萬長)と年齢がそう違わないように見えるのがチョットねー。


さて、前回長崎円喜フランキー堺)暗殺に失敗した北条高時片岡鶴太郎)は母・覚海尼(沢たまき)のいる東慶寺へ引きこもってしまった。史実と創作が入り交じっているので、ひとつずつ解きほぐしていこう。
まず北条高時の母だが、彼女は安達一族の大室泰宗(安達泰盛の甥)の娘で、北条貞時との間に高時・泰家兄弟を儲けている。覚海尼という法号は典拠があるかどうか分からないのだが、もしかすると東慶寺開山の覚山尼*1をもじったんじゃないかなー、と推察。
覚海尼に詰られている秋田城介(佐藤文治)。キャストにも官名しかないが、安達時顕かその子・安達高景のどちらかだろう。ドラマでは頼りない側近といった感じでしたが、安達時顕は娘を北条高時の正室とし、得宗家の外戚として長崎円喜と並ぶ権勢を誇った人物。安達一族は霜月騒動で没落したが、北条貞時母と北条貞時室がともに安達一族であり、幼かったため霜月騒動を生き残ったとみられる安達時顕を彼女らが引き立てたとみられ、再び繁栄のときを迎えていた。しかしそれも鎌倉幕府滅亡とともに霧散。霜月騒動は乗り越えられたが、二度目の復活はならなかった、無念(涙)。


その後、嘉暦元年(1326)に金沢貞顕児玉清)が執権となるがすぐさま辞任し、次いで赤橋守時勝野洋)が就任したという、いわゆる嘉暦の騒動について説明がなされました。指摘すべきは以下の通り。

  • 北条高時の執権辞任・出家は、病気によるもの。
  • 金沢貞顕の執権辞任・出家は、後任を狙っていた北条泰家(高時の弟)から向けられた憤懣を恐れたことによるもの。
  • 金沢貞顕の執権就任期間は1ヶ月ではなく、わずか10日間。


ひとつ目は、創作の長崎円喜暗殺未遂事件の影響による齟齬。ふたつ目は、北条泰家が登場しないための齟齬。まあ、覚海尼も息子の泰家に肩入れしたとは思うけど。


いよいよ元弘の変に突入するのですが、その前に護良親王堤大二郎)が初登場きたよー! 天台座主時代だから正しくは尊雲法親王か。それにしても僧形じゃないのが気になる。


で、元徳三年(1331)に話が一気に飛んで、元弘の変が始まるのですが、執権赤橋守時のもとで評定が開かれている。当時、評定衆は形骸化・名誉職化していたのではなかったか。評定に参加している面々は、赤橋守時長崎円喜長崎高資西岡徳馬)親子に二階堂道蘊(北九州男)くらいしか識別できない。キャストをみると連署北条茂時(神谷まさひろ)に評定衆の大仏貞直(山中康司)・名越高家(小山昌幸)が座に連ねていそう。
さらに守時が実権のないことについて不満を漏らしているが、むしろ守時が執権に就任したのは政治色が薄かったためだと思う。


さて、次回はいよいよ元弘の変本番。

*1:安達義景の女。北条時宗の妻となり、北条貞時を生んでいる。