日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第12回「笠置落城」

今週放送分、ようやく追いつきました。(^^;


笠置山に参陣した楠木正成武田鉄矢)。同じように各地から豪族たちが集まって来ている。足助重範(石井哉)に赤松則祐*1(斉藤拓)、それとよく知らないけど桜山慈俊(松本光弘)・小寺頼季(津村和幸)。
後醍醐天皇に拝謁する楠木正成。直々に声をかけてもらう栄誉を受け、さらに各地に分散して挙兵すべきとの献策も受け入れられる。最初から破格の待遇だが、近隣からはまだしも諸国から兵が集まり、さらにそれを帰すというのは考えにくく、正成の活躍を描くための演出であろう。
さて、この拝謁の場面に護良親王堤大二郎)を始めとする皇子たちと多くの公家衆が座に連ねているのだが、どうもここに北畠具行(押切秀樹)が居たのではないかと思われる。キャストでは親王・公家衆の中に名を連ねているし、他に出ていそうな場面もない。が、昨日*2述べたように彼は日野俊基らとともに捕縛され、六月には処刑されている。*3
出すのなら前々回にすべきだし、こんなぞんざいな扱いなら無理して名を出す必要もなかったのに。どうせどこに居るのかも分からない端役なんだから。プンプン!


一方、幕府方では新たに光厳天皇(岡田智章)を践祚させ、それから大軍をもって笠置山へ押し寄せる。軍議では、蚊帳の外の足利高氏真田広之)が手持ち無沙汰で、細い紙切れのようなものを子供のように弄っている。全くやる気の欠片も無し。せめて表向きはやる気のある体裁を取ろうよ。(苦笑)
こちらの場面でも、いちいち紹介がなくキャストにしか名が見えない方々が登場している。「このような山をひと月も落とせんとは、六波羅は大バカモンじゃ!」と言われて反論するのは六波羅探題南方の北条時益(世古陽丸)だろう。あと坊主頭の二階堂道蘊(北九州男)は何度も登場しているので分かる。それと台詞のあった他の二人は、北条一門衆の大仏貞直(山中康司)・金沢貞冬(香川耕二)だと思うが、どちらがどちらか分からん。慎重派・積極派とキャラクターは両極に別れていたので、それが手がかりになるのかなぁ。
秋田城介(佐藤祐治)も多分ここにいたのであろうが、如何せん地味すぎて分からん。取りあえず、この場にいるということは比定される人物は安達時顕ではなく、息子の高景ということになるだろう。第9回の疑問*4が氷解した。


そして抜け駆けであっさり陥落する笠置山後醍醐天皇は逃げますが、なんで万里小路藤房(大和田獏)が負んぶしないんですかー?! 『太平記』名場面のひとつだと思うんですけど・・・残念。取りあえずあっさり見つかって捕まります。
足利高氏らは京都に凱旋。そして最後にちょっとだけ北畠顕家後藤久美子)が登場。ゴクミキター!ゴクミ若い!

*1:「のりすけ」と紹介されていたが、出家して律師となっていたので「そくゆう」というべきか。

*2:太平記 第10回「帝の挙兵」 - 日本史日誌

*3:笠置山籠城は元弘元年(1331)8月〜9月。

*4:太平記 第9回「宿命の子」 - 日本史日誌