田沼意次/藤田覚/ミネルヴァ書房
田沼意次―御不審を蒙ること、身に覚えなし (ミネルヴァ日本評伝選)
- 作者: 藤田覚
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2007/07
- メディア: 単行本
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ミネルヴァ日本評伝選の一冊。
興味深い分析が多いです。強大な権力を握った要因と、失脚するに至った要因が、どちらも老中であったことに求められる、という点が特に面白い。
側用人と老中を兼任することによって、将軍の補佐と政策の立案・執行のどちらも行えるようになったことが権力の源であるという。これって時代は違えど藤原道長との類似性が思い浮かびますね。道長の場合は、内覧として天皇を補佐し、一の上(左大臣)として陣定を取り仕切っています。
しかし道長と違って失脚してしまうわけですが、それは失政があった場合に老中が責任を負わされる伝統により「トカゲの尻尾切り」となったという。ただ、老中辞職の顛末の検討を読んだ限りでは、「トカゲの尻尾切り」ならぬ「トカゲの首切り」とでも言うような印象を受ける。姻戚関係にあった水野忠友や松平康福など、いわゆる田沼派の老中や幕閣が泥舟の沈没に巻き込まれたくないとの思いから意次に責任を被せて辞職に追いやったのではないだろうか。追い打ちの絶縁が世知辛く、なんともシビア。しかし結局彼らも松平定信に追い落とされてしまうんですけど(-。-)y-゜゜
それにしても幕閣に張り巡らされた閨閥関係には驚かされます。これほどまでに姻戚で固めたのは江戸時代においては異例じゃなかろうか。しかしどれだけ身内で固めても土壇場では何の役にも立たない、それどころか手痛い仕打ちに遭わされてしまうわけで。塞翁が馬ですね。
そして異例といえば、嫡男意知の奏者番・若年寄就任でしょう。部屋住みの身でありながら父と共に幕閣に名を連ねるのは制度が流動的であった江戸時代初期を除けば唯一ではなかろうか。権力の継承を狙ったものとのことですが、どうしてこのような先例無きごり押し人事が可能だったのか。それだけ当時の意次の権勢が強かった、ということでしょうか。それで片づけてしまってよいのか気になるところ。