日本史の一級史料/山本博文/光文社新書
- 作者: 山本博文
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2006/05/17
- メディア: 新書
- 購入: 1人 クリック: 13回
- この商品を含むブログ (30件) を見る
- 第1章、有名時代劇のもと史料
- 第2章、歴史家は何をどう読む?
- 第3章、新しい史料を発掘する
- 第4章、一級史料の宝庫「島津家文書」を読む
- 第5章、「歴史学」への招待
史料編纂所でのお仕事がどのようなものか窺えて楽しい一冊です。
それから本書では、歴史を学ぶにあたって大切なことが述べられているので、書き留めておきます。
一つは、歴史は過去に確かにあったことですが、現在、われわれが知りうる「歴史」というのは、史料から復元されたものであり、かつ史料からしか復元されえないものだということです。
なので、史料が残っていない歴史について、われわれは何も語ることができません。
もう一つは、歴史は「歴史家」というフィルターを通してしか描かれないということです。
史料が残っていたとしても、それを読む歴史家によって、そこから描き出される歴史の姿は変わります。
つまり、歴史を語るとき、史料とそれを読む歴史家の存在を無視することはできないのです。
歴史上の事象やエピソードなどがどのような史料に基づいているのか、という関心は私も持っております。大河ドラマに対してもそれへの興味であれこれ書いているわけでして。
ただ、一般的に歴史知識というものは、授業・教科書や概説書、はたまた小説・漫画・テレビなどを通して得られたものでしょう。私も勿論ほとんどそうでして、そのような根拠の分からぬまま得た知識は、当然のことながら玉石混淆。一般に定着している話であっても、まるで根拠がない、ということは非常に多くあります。
虚構・創作の存在意義を否定する気はありませんし、それらが歴史好きへの導入となることもあります。しかし導入を既に経たからには、その歴史知識がどこから生まれどのような過程を経てきたのかを意識し、虚構・創作に関しては史実と切り離して考える必要があるでしょう。
抑修史ノ材料ハ古文書・日記ヲ以て最上トス、従前史家ノ拠ル所ハ大概戦記物語ノ類、後人ノ手ニ成ルモノニシテ、附会潤色信ヲ取ルニ足ラス、
(そもそも歴史書を編纂する材料は、古文書と日記が最上の史料である。これまでの歴史家が史料として依拠したのは、おおかた戦記や物語の類で、のちの人間が書いたものだから、牽強付会の説や潤色があり、信頼するに足りないものである。)
こちらの引用は、明治時代の歴史家で「クラッシャー」「抹殺博士」の異名を取ったという重野安繹による、史料の価値についての、近代歴史学の基礎となる見解です。カッコ内は著者の意訳。
極端ですが単純明快。