徳川将軍家の結婚/山本博文/文春新書
- 作者: 山本博文
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2005/12
- メディア: 新書
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- 序章、 傳通院にある家光正室の墓
- 第1章、政略結婚の時代
- 第2章、政略結婚から家格の釣り合いへ
- 第3章、幕府婚姻政策の転換
- 第4章、島津家との縁組
- 第5章、再び島津家からの正室
- 第6章、徳川の命運を懸けた縁組
- 終章、徳川家を救った二人の御台様
こうして眺めてみると、徳川将軍家の婚姻に"政略"が絡むことは意外にも少なかったことに気付かされる。
初期には、千姫の豊臣家輿入れや和子(東福門院)の入内など有名な事例が見られ、また養女を盛んに外様大名へと嫁がせるなどしていましたが、それ以降だと七代将軍徳川家継と霊元院皇女八十宮との婚約や、十四代将軍徳川家茂と皇女和宮の婚姻。あとは十三代将軍徳川家定と島津敬子(天璋院)の婚姻も挙がるでしょうが、これは島津家より正室を迎えて子宝に恵まれた十一代将軍徳川家斉にあやかろうという意図によるもので、ペリー来航で政情不穏となる以前より進められており、"政略"度は低いようです。
ともかくそれら二・三の例外を除くと、だいたいが家格の釣り合いや縁故を考慮したものであり、しかもそれは三代将軍徳川家光と鷹司信子との婚姻という早い時期にまで遡る。それだけ徳川将軍の権力基盤が安定していたということだろうか。