功名が辻 第1回「桶狭間」その2
一豊の母・法秀院はどこにいたのか?
ドラマでは法秀尼ですけど、なんで院号じゃないのかな。生前に名乗るのは不自然なのかな。法名についての勉強が必要だ。
それはともかく、お母上は尾張でひとり暮らしをしているように描かれておりましたが、まずこの時期どこにいたのか。一豊らと親類縁者のもとを転々とした後、近江の宇賀福というところの長野家に寄寓しているのですが、それがいつ頃なのかはハッキリせず。
一豊の弟妹はどこに?
しかも、彼女のもとには幼い子供達が居たものと思われるのですが、そこら辺はどうなっとるのか。戦死した長男十郎、安東郷氏に嫁した長女お通、生年不詳の次女お米、そして一豊は兎も角として、少なくとも康豊(当時12歳)とお合(当時7歳)は一緒にいたのではないでしょうか。
一豊の姉妹はキャスティングされていないので、出番はないのかも知れませんが、康豊は間違いなく出てくるので・・・いったい今後どのように登場させるつもりなんでしょう?
桶狭間への信長出陣のお約束
「敦盛」を舞います。人間五十年・・・っていうやつです。これは『信長公記』に基づいてます。
鼓を打つのは濃姫です。史料なんてありません。
そして僅か五騎を従えて清須城より疾駆。なぜか木下藤吉郎が付き従っているのもお約束ですね。
桶狭間の戦い
『信長』以来、大河ドラマでは俗説の迂回奇襲説は採らないみたい。良い傾向です。今川義元が布陣したのも窪地ではなく桶狭間山になっていますし(・∀・)イイヨイイヨ-
ただし、織田方が誘い込んだとするのはちょっと・・・それは窪地だから意味があるのであって、丘上に誘い込むのでは意味不明。信長が今川勢の動き、天候などから臨機応変に戦術を採ったとした方が説得力があるでしょう。
配役の年齢
毎年のことではありますが、今年は特に年齢のギャップが激しい気がしますねぇ。
初回の年代、永禄三年(1560)における主要登場人物の年齢と役者の年齢を比較してみよう。
- 見性院(4) → 永井杏(15)
- 山内一豊(15〜16) → 上川隆也(42)
- 五藤吉兵衛(8) → 武田鉄矢(58)
- 織田信長(27) → 舘ひろし(57)
- 豊臣秀吉(24〜25) → 柄本明(59)
- 前野長康(33) → 石倉三郎(61)
- 蜂須賀小六(35) → 高山善廣(41)
- お市(14) → 大地真央(51)
- 濃姫(26) → 和久井映見(37)
- おね(12) → 浅野ゆう子(47)
- 今川義元(43) → 江守徹(63)
全て数え年での比較です。
こりゃ予想以上に凄いですな。特に凄いのが五藤吉兵衛ですが、私もまさか山内一豊より年下だとは思いもせず。吉兵衛よりその父三郎左衛門浄基の方がしっくりくるような気もします。浄基と、祖父江勘左衛門なる人物*1の二人のみが流浪の一豊に付き従っていたという話があるようなので、親子二代がモデルなのかもしれない。
ただし、浄基も二十代・三十代の可能性があり、そうなるとやはりギャップが生じるのですが。
*1:祖父江新右衛門のモデルか?