日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第6回「我が兄頼朝」

まだ相変わらず承安元年(1171)のようですねー。徳子入内もまだだし。
それにしても平家の面々がやたらと遮那王を警戒してますね。そりゃまあ、あんだけ遊びあるいていたら気にもなるでしょうけど、気にしているわりにはユルユルですね。結果として遮那王は奥州へ下ることができたわけですし、その後の詮議もなにもなかったわけで、実際はほとんど無視されていたのではないかと思われます。取りあえず、この時期の平家の方々は徳子入内の準備に忙しくて遮那王どころじゃなかったんじゃないかと。
あと、兄弟の話ってーと決まって頼朝が大きくクローズアップされるが、都近くの醍醐寺園城寺にいる同母兄のことも思い出してよ。つーか、今後一切出てこない可能性も捨てきれないから怖い・・・。


というわけで、源頼朝登場。供も連れずひとりで出歩いてる・・・『草燃える』のときは武田鉄矢扮する安達盛長がいつもくっついていたんだけどなぁ。
北条時政も登場。大番役を仰せつかったことをさも名誉であるかのように言っていたけど、彼らにとってはそれが義務で負担となっていたんじゃなかったか。
北条宗時北条政子の兄妹も出てきた。義時はいないのか?字幕が出てこぬ。滝で伊東がどうこうと語るのは堀親家か?あとでキャストを見返してみよう。

北条本家にへつらうこともなく、東の大庭・西の梶原などとも肩を並べられるものを

政子がこんなことを言っていたのが耳にとまった。北条時政は庶流で、北条時定が惣領だったという説があるが、たぶんこれのことを言っているのだろう。それにしてもまさかドラマ内で庶流設定が来るとは思わなんだ。でも今後大して語られることでもなさそうなので、逆に違和感が拭えない。(^^;
あと、「西の梶原」というけれど梶原は相模の武士で伊豆の北条からみれば東だろうに、どういうことでしょう?それと当時の梶原氏が大庭氏と並び称されるような豪族だったのかということも疑問にのこるところ。


おっと、安達盛長比企尼が登場。比企尼武蔵国比企郡にいて離れていたので、娘婿である盛長が頼朝に近侍していたということのはずだが、何だか一緒に住んでるっぽいぞ。


というわけで、今回は東国の人々の紹介話でした。あとは義経が平泉に下って、奥州藤原氏が出てくれば、だいたいの主要キャストが出揃うかな。