日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

騎兵と歩兵の中世史/近藤好和/吉川弘文館

騎兵と歩兵の中世史 (歴史文化ライブラリー)

騎兵と歩兵の中世史 (歴史文化ライブラリー)

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  • 中世後期の騎兵と歩兵

歩射の増加と表裏となる現象として、これまで常設の城郭戦や野伏戦また弓射歩兵の増加、そして三枚打弓の主流化と鏃の小型化による矢の飛距離の増加などを挙げたが、歩射の必要性が高まるなかで、騎射の必要性が減少し、それが弓射騎兵の変質や打物騎兵の登場を促したのではなかろうか。

要点抜き書き。それまでの伝統だった弓射騎兵が、南北朝時代になると大太刀などの刀槍類による打物戦を行うように変化するという。で、その一方で歩兵による弓射が盛んになったそうな。
で、そうなった理由は何なのかな〜?という疑問に対するが上記。楠木正成の千早城籠城に代表される戦闘形態の変化、そして弓矢の機能向上が要因となったのであろう、と。


最後におまけ、

ヨーロッパ中世の騎士による馬上槍試合も、槍の表記を用いることは正しいが、「やり」試合ではなく、「ほこ」試合と読むべきなのであり、また投槍も「なげやり」ではなく、「なげぼこ」なので、陸上競技の「ヤリ投げ」も「ホコ投げ」なのである。

槍を「やり」と訓読するのは近世からで、それ以前は「ほこ」と読み、「やり」には鑓か鎗を使用していたという。さらに「ほこ」と「やり」は類似の武器だが、「やり」は鎌倉時代末期に成立した日本独自の武具で、その一方「ほこ」は古代以来の全世界普遍的武具。それゆえ「やり」という翻訳を使用するのは誤りというので、上記の意見となったようだ。
本気とも冗談ともつかぬところが面白い。