日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第3回「源氏の御曹司」

なんかまだ長寛五年(1165)なんだって。初回から変わってないじゃん。そのまま年は変わらず、牛若は鞍馬寺に赴く。『義経記』に沿った展開か。*1


なんども脱走を試みる牛若。七歳ですから、まだまだ母親が恋しい年頃。


鬼一法眼登場。美輪明宏を見てると笑いがこみ上げてる、何故だろう? 小童に小難しい説教を垂れる鬼一法眼。妖しい術を使って姿を消す。次のシーンでガバッと跳ね起きる牛若。夢オチ?!
牛若は遮那王と名付けられる。いよいよ御稚児さんとしてむふふデビューかしら?(妄想)


年が変わって、この年に時子が従二位に、平清盛が内大臣になったとナレーション。ついでにいえば平重盛が権中納言に昇進している。家格の固定化が進んでいた当時にあって、清盛の任大臣は画期的なこと。これを契機にして以後、平家一門の公卿昇進が相次ぐことになる。


後白河上皇のもとに参上する清盛・重盛。平家納経を御覧にいれる。経文を収めた箱の蒔絵・螺鈿がキレイだなー。とくに螺鈿のあのキラキラした感じが好きでたまらない。
この平家納経、奉納は前々年の長寛二年(1164)と伝わるが、仁安二年の日付が記された経文もあるようで一度に全て奉納されたのではないようだ。
ところでこの年、仁安元年(1166)には後白河上皇院政が再開され、また上皇と平滋子(時子の妹)の間に生まれた憲仁親王高倉天皇)が皇太子に任じられるなど、上皇と平家の蜜月時代である。それにしても建春門院平滋子たる中江有里サンの出番はまだか・・・。(-"-;)
清盛が「年が明けたら、一門揃って厳島に参ります」の言葉どおり厳島へ参詣する平家一門。この厳島参詣の直前に太政大臣に昇進し、所願成就のお礼参りとなっている。


遮那王が鞍馬寺を抜け出すのに成功してから、味を占めてたびたび都へ下りるという設定だそうだが、子供が鞍馬と洛中を往復するのってすごく大変なことのような気がするんだけど。超人的な体力を持っていたとでもいうのか。


そしてようやくお待ちかね、源行家の出番きたよー! 系図を示して遮那王の出自を語る行家。しかしこの系図・・・為義と義朝が兄弟になってないか?
それはともかく実の父を知り、父と慕った清盛が仇と知らされ、揺れる遮那王少年の心。思いあまって滝壺へ身を投げ入れて敢えなく・・・なワケもなく、単にタッキーへの変身シーンなだけだったようです。(^^;
あれから年を重ねて、だそうだが、一体何年経ったのだ? 九歳だった遮那王少年はタッキーに変身して何歳になったの?