日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

聖徳太子描かせた?壁画=7世紀初頭、法隆寺で−焼けた断片百点、焼失裏付け

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041201-00000905-jij-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041201-00000213-kyodo-soci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041201-00000013-yom-soci

奈良県斑鳩町法隆寺で、7世紀初めごろの壁画の断片約百点が出土したと、同町教育委員会が1日、発表した。寺院の壁画としては日本最古で、聖徳太子(574〜622年)が建立し、670年に全焼したとされる法隆寺の金堂か塔の屋内を飾っていたとみられる。いずれも細かな断片だが、彩色や下書きの跡が見えるため壁画と判断した。太子が仏教説話を描かせた可能性を指摘する専門家もいて、飛鳥文化の貴重な遺物として注目される。
(中略)
法隆寺は607年に聖徳太子が建立したが、670年に全焼し、現在の法隆寺は7世紀後半に再建されたとされる。壁画片は、全焼前の塔や金堂の跡「若草伽藍(がらん)」より約60メートル西にあった谷の跡に、7世紀初頭の瓦などとともに捨てられていた。壁画片も瓦も1000〜1200度の高温で焼かれており、火災に遭ったことを裏付け、日本書紀にある法隆寺焼失の記述を補強している。

ここのとこ聖徳太子関連図書を読んできたすぐ後にこのニュースですよ。ちょっとした運命かもね。
しかし非再建説でも、『聖徳太子虚構説を排す』の著者は二寺並立説をとっているから、ちっとも困らん、でしょうな。