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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

北条氏秀と上杉景虎/長塚孝/戦国史研究(12号)

1986年、20年前に発表された2ページの小論。昨年末チェックしていたものを*1、遅ればせながら読み終えました。


北条氏秀上杉景虎が全くの別人であるとする論考で、その根拠として挙げられている史料は『北条家過去帳』。

   武州江戸北条治少輔殿 蓮乗院取次
玉岩寺新養道雲大禅定門平氏秀(花押影)
   天正十一未癸年六月二日 三上備後守奉之

これによって、江戸にいた北条治(部)少輔の実名が氏秀であり、天正十一年(1583)に死去したことが分かる。またこの北条治部少輔については、北条氏直書状によって天正八年以降に関宿城に在番、のちに病気療養のため江戸城へ移ったことが分かっているという。
一方、上杉景虎ですが、彼は天正七年(1579)に御館の乱で自害しているので、上記の北条氏秀と同一人物の可能性は皆無。また、上杉景虎北条氏時代の実名を「氏秀」とするのは軍記物の『関八州古戦録』にみえるのみのようで、それより成立時期の早い『北条五代記』では実名について触れていないとのこと。どうやら『関八州古戦録』に依拠するところが大きかっために、上杉景虎の前名を北条氏秀とするのが広まってしまったようです。


というわけで、北条氏秀上杉景虎が全くの別人であることに納得したのでした。