日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

武田氏館跡:甲府市教委発掘調査で「三日月堀」 防御とシンボル機能兼ねる?/山梨

現在の武田神社一帯に築かれていた武田氏の館跡(甲府市府中町、国指定史跡)から、武田流築城技術の典型とされる「三日月堀」が見付かった。同形の堀は信玄(1521〜73)の時代に考案されたとみられ、攻略した信濃、諏訪などの城跡で多く発見されているが、県内では後を継いだ勝頼が1581年に築城した新府城跡(韮崎市)で見付かっただけ。発掘調査を行っている市教委は、三日月堀の規模が小さく、防御機能とともに武田家のシンボル的な要素を備えていた可能性が高まったとみて調べている。
市教委によると、三日月堀は今年2月、現在の武田神社の東側入り口付近にあった大手門付近から出土した。深さ2・5メートル、幅4〜5メートル、直径25メートルと推定される。これまで発見された三日月堀は大きい物で直径40〜50メートルあり、規模は小さい。
同市教委によると、信玄は中世城郭の優れた築城技術を持つ戦国大名と言われる。武田流築城法では、正面玄関である大手門からの敵の侵入を防ぐため門の前方に半円形の土塁を設置し、土塁に沿って外側に堀を築く。堀は、その形から「三日月堀」と呼ばれ、館からスムーズに出撃できるようになっている。
(中略)
武田氏の築城技術を研究する帝京大山梨文化財研究所(笛吹市)の萩原三雄所長によると、三日月堀が発見された城跡で最も古いのは1543年に信玄が攻略して改修した長野県佐久市の岩尾城跡。今回、三日月堀が見付かった館は信玄の父信虎(1494〜1574)が1519年に築いたとされるが、他での出土状況から信玄の時代に考案され付設されたとみられる。館への付設時期は不明だが、館は信玄の本拠地であるため、信濃侵攻前から考え出されていた可能性も出てきたという。
萩原所長は「規模が小さいながらも武田流の典型である三日月堀が本拠地で発見されたことは、三日月堀が武田家のシンボル的要素を兼ね備えていた可能性が高まったことであり、三日月堀の役割を考える上で重要な資料」と話している。
毎日新聞

おっ、三日月堀発見ですか。
三日月堀ということは、当然ながら丸馬出とのセット。丸馬出ってなんか好きなんですよね。ほとんど残っていませんけど。折角だから復元整備してくれないかなー?