日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

続・松殿基房の帰洛


え〜、かなり遅くなりましたが、『徒然彩時記』の手鞠さんより頂いたご教示を頼りに、『玉葉』と『山槐記』の該当記事を確認するため図書館に行ってまいりました。
あ、それと話題の論文『元暦西海合戦試論』立命館文学(554号)をコピーしてきました。あとは読むだけですわ・・・ってこれが一番肝心要なんですよね。コピー取っただけで満足しちゃあかん。(^^;


さて本題ですが、治承三年のクーデターの結果、関白を解官されて備前に配流されていた松殿基房の召還入京は、治承四年(1180)12月16日のようです。『山槐記』の同日条に「今夜松殿自備前令入洛給」とあり、『玉葉』の翌12月17日条に「松殿去夜帰京」とありました。さらに『玉葉』の12月3日条と『山槐記』の12月4日条に松殿を召し返す沙汰がなされたとの記事が。


ふぅ・・・。日頃ウェブの読み下し史料しか見ていないので、漢文を追っていくのはしんどいことこの上ないね。慣れないことしたので疲れました。(^^;


それと気になった点がひとつ。『玉葉』の記主・九条兼実松殿基房の弟なのに、そんなことをすっかり忘れさせてくれる恬淡とした書きぶり。腹違いだからか。確か同母弟の慈円とは交流があったような。長兄近衛基実を含めた兄弟関係に俄かに関心が高まる。あと、同時代の他の兄弟と比較してどうとか、摂関家の他の世代と比較してどうとか。