室町期における佐々木京極氏と近江国「守護」職/嶋田哲/年報三田中世史研究(11号)
近江国の守護というと六角氏と京極氏の半国守護かと認識していたのですが、そう単純なものでもないようです。六角氏の近江守護は問題ないようですが、京極氏の立場については様々な説が提示され論争となってきたとのこと。ふんふん、じゃあ近江における京極氏の立場ってなんなのー?という疑問が湧きますが、それが本論考のテーマ。ってことで、ひとまずポイントを列挙してみます。
- 幕府公式には守護ではないと認識されている。
- 京極氏自身も近江守護とは認識していない。
- 江北における軍事指揮権*1は保持。
- 所務遵行権*2は限定的。
- 同時代史料では守護と見なされている。
- 人々が守護として見なし得る要件は、軍事指揮権である可能性が高い。
そしてこのように、正式な「守護」でないにも関わらず「守護」と見なされることのある立場を、守護に準じる存在の「副守護」と規定することを提案。用語については、素直に「準守護」か或いは「守護格」の方が適しているように思うのですがどうでしょうか。
とりあえず、近江における*3京極氏はかなり特殊な立場だったことが分かりました。それはやはり京極氏の成り立ちそして佐々木道誉こと京極高氏の存在が大きいと思うのですが、そのあたりの経緯にもちょっと興味が湧いてきましたよ。