日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第22回「鎌倉炎上」

前半最大の山場ですね。内容は、まー、色々言いたいこともありますが、ドラマの出来映えは見事。
これを見て、ひさびさに『鎌倉擾乱 (文春文庫)』「北条高時の最期」を読み返してみる。んー、こちらはまた一段と素晴らしい。いままで幾度か絶賛しているので、何度も言うのは気が引けるけど、とはいえ素晴らしいものは素晴らしい。
今はこの余韻に浸りたいので、あとはあまりゴチャゴチャ言わず、ちょっと気になったことに軽く言及するだけにします。


新田軍の武将として登場した新田氏義(河合隆司)と三木俊連(大関正義)。新田軍で名のある武将として登場したのは、新田義貞根津甚八)・脇屋義助石原良純)兄弟を除くとこの2人のみ。しかし、この2人何者なの?
まずは新田氏義。苗字からして新田一族なのでしょうが、新田一族といえば古典『太平記』に別働隊の大将として出てくる大館宗氏・江田行義・堀口貞満・大嶋義政の方が知名度あると思うので、彼らの方が妥当だったのではないか。あるいは今まで度々登場している岩松経家(赤塚真人)でも良かったような。
そもそも、新田氏義に比定される人物って誰なのか? 一門の里見氏に氏義という人物が居るようだけど、その人なのだろうか?


さて、疑問を抱いたまま『新田義貞 (人物叢書)』をパラパラめくっていたところ、三木俊連に関する記述を発見。そこに新田氏義に関する説明もありました。
三木俊連は武蔵国の住人で、「新田蔵人七郎氏義」に属して鎌倉攻めに参加。稲村ヶ崎方面の合戦で活躍したそうな。戦後に彼が提出した着到・軍忠状が残っているとのこと。
そして、彼が属したという大将「新田蔵人七郎氏義」こそ今回登場した新田氏義でしょう。前著の見解によれば、蔵人の官途名が里見氏系に多いので大井田氏義に比定される、とのこと。あー、やっぱりそうなのか。いやー、疑問が氷解してスッキリ。