日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太平記 第11回「楠木立つ」

先週放送分です。
六波羅探題勢による笠置山攻撃が芳しくないとのことで、鎌倉幕府は軍勢を派遣することに。長崎高資と二階堂道蘊が承認をもらうため得宗北条高時の屋敷へ赴く。出家して執権を退いた高時だが、やっぱり剃髪してない(w


派遣する軍勢の大将のひとりに足利高氏の名が。足利貞氏が亡くなり、喪中であるにも関わらずだ。執権赤橋守時勝野洋)が自らそれを伝え、いつの間にか執権職がお飾りになってしまったと嘆く。お飾りなのは今更なことなので、あんまりリアル感がない。
それから、いつのまにか千寿王(のちの足利義詮)が生まれていた。


一方、笠置山では後醍醐天皇以下公家だちが苦しい戦況に戦々恐々。『太平記』で有名なエピソードのひとつ、「大樹の南の陰に天子の席」そのココロは「木の南」で「楠」だ、という後醍醐天皇が見た夢の話によって、万里小路藤房(大和田獏)が楠木正成武田鉄矢)のもとに勅使として赴く。勅使を迎える栄誉を受けても、戦嫌い設定の楠木正成は挙兵を渋る。
今回はこの楠木中心の話が長く、20分ほど割かれている。何だかんだ言いながら、結局は妻の叱咤で挙兵を決意する楠木正成。ずいぶんとぐだぐだな感じで次回へ続く。