日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経 第4回「鞍馬の遮那王」

あ、しまった。もう平維盛・資盛兄弟が出てくるのか。キーワード登録間に合わなんだ。


前回タッキーに変身した遮那王。時は承安元年(1171)だそうで、平清盛太政大臣となった仁安二年(1167)から4年が経過したことになる。つーか、遮那王はまだ13歳じゃないか。13歳といっても数え年だから、実際にはまだ小学生の年齢。ぶっちゃけ、まだ神木隆之介キュンでも良かったのかも。


源行家が気になってしかたない遮那王。まぁ、あんな怪しげな男から衝撃的な話を聞かされればインパクトもありましょう。
京の吉次の屋敷を訪ねる遮那王。吉次の妻(?)萬田久子から平清盛が病に倒れて出家したという話を聞く。視聴者に空白の三年間を説明するためとはいえ、3年も前の話を初めて聞いたという風な顔をして話に食いつくタッキーは如何なものか。あるいは、3年間修行一筋に過ごしてきたということを表現していると捉えるのが正しいのかもしれない。


で、話は清盛が病に倒れた仁安三年(1168)へと戻る。寄生虫の病である寸百だったというのは、九条兼実の日記『玉葉』にあるようです。
病床の清盛を、同時に出家した妻時子、さらに平重盛平宗盛平知盛の息子三人に重盛の妻・森口瑤子と知盛の妻・夏川結衣らが看病。宗盛と知盛も子役から変わりましたね。しかし知盛はまだ18歳ですけれど阿部寛(笑)。重盛と知盛の妻について知らないので、公式サイトを見ると、重盛の妻が高倉天皇の乳母で、知盛の妻が高倉天皇の皇子・守貞親王の乳母だそうな。へー、これホントに? あと、何で兄弟のなかで宗盛だけ妻が出てこないのでしょう? 息子がいるのだから、妻がいないということは無いと思うのだが。


ついで、後白河上皇が清盛を見舞いに六波羅行幸。熊野詣の帰りに立ち寄っている。そして、大河では完全スルーだが、このときに六条天皇譲位のことが議定されている。これによって時子の妹・滋子所生の皇子が即位して高倉天皇となり、清盛と後白河の協力関係が一層強まっている。そして翌年には後白河も出家。


福原の話が今回もたびたび出てくる。清盛が早いうちから福原に夢の都を築きたいとする設定はちょっとね。のちの福原遷都から紡ぎ出した、遷都を前提とした話だから違和感が拭えないのだろう。取りあえず、出家後の清盛は主に福原を拠点とすることになる。天皇家にとっての鳥羽、摂関家にとっての宇治みたいなものだろう。


上戸彩登場。今回は顔見せか、出番短し。うつぼって、義経の幼馴染みという設定のハズだが、これまでの話ではとても幼馴染みとは言えん。断じて言えん。そもそも幼馴染みというものは、もっとこう・・・(以下略。


清盛が父の敵であり、かつ命の恩人でもあるということを知り悩める子羊の遮那王は、鬼一法眼に弟子入りして修行を積む。秘蔵の兵法書六韜三略だったか)を盗み読むため、鬼一法眼の娘を誑かしたりするのかと期待したが、さすがにやらないか。タッキーのイメージ上にも問題あるだろうし。


弁慶きたよー! マツケン、すっかり体格が弁慶らしくなられて・・・(笑)。比叡山を追い出されたという伝説はあるものの、大河では山門・寺門の対立の張本人という罪を着せられてスケープゴートにされたという設定が新しい。しかし、この山門・寺門の対立に平家が軍勢を出動させたという話があるのかどうか確認できなかった。特定のエピソードに基づいた話ではないのかもしれない。
平資盛がちょいと出てきたが、この前年である嘉応二年(1170)に『平家物語』で有名なエピソードである殿下乗合事件を起こしている。


そしてまあ何だかんだありまして、鬼一法眼のもとで武術を極めた遮那王と恨みから太刀を奪い集めている弁慶がいよいよ五条大橋で対決!ってとこで来週へ続くのでした。