足利尊氏と今川義元の官途・受領/角田朋彦/戦国史研究(48号)
- 作者: 戦国史研究会
- 出版社/メーカー: 戦国史研究会
- 発売日: 2004/09
- メディア: 単行本
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今川義元が桶狭間の戦いの際にとった軍事行動が上洛を目的としたもの、という説があるが(通説ともいえようが、境界紛争説のほうが現在有力か、私もこちらを支持する)、その論拠のひとつに挙げられるのが今川義元の官位履歴である。
義元が上総介、治部大輔を経て三河守に任官されたのが、足利尊氏と同じであるゆえ足利一門である義元は自らを尊氏になぞらえて上洛を目指したのだ、と。
しかし、尊氏に上総介・三河守任官歴はなく、上総守護・三河守護の誤認識だそうな。
尊氏の官位歴に上総介・三河守がないのは鎌倉時代・室町時代の研究者にとっては常識のようですね。8月に角田氏ご本人よりこの話を聞いたとき、まわりの研究者のみなさんは一様に驚いておりました。研究者でない私は別の意味で驚きました。知らなかったことゆえの驚きと、有力説がこのような事実誤認に基づいているという驚き。
研究者であっても自身の専門分野でないところが絡んでくるとこのようなことになるのだろうか。研究者の皆さん、専門分野外のところもちゃんと調べて下さいな。あと異なる時代の研究者間の交流も重要なんじゃないかな。
と、一般人の戯言でした(^^;
さて、今川義元の上洛目的説についてちょっと調べていたら義元の上総介・三河守も怪しいという。もしそうなると従来の説って一体・・・。