関西私鉄沿線めぐりの旅4〜淀〜
※2012年4月27日の記事です
淀の地もまた鳥羽・伏見の戦いの舞台。淀城跡から淀小橋跡、千両松古戦場をめぐりました。
ちなみにここでの淀城とは、江戸時代に築かれた城郭で、豊臣秀吉が淀殿の産所として築いた淀城(淀古城)とは別物。淀古城の石碑がある妙教寺も近くにあったのですが、下調べ不足で訪ね損ねてしまいました・・・トホホ。
淀城跡
徳川秀忠の命により築かれた城郭。廃城となった伏見城に替わって、京を抑える役割を担いました。
江戸時代中期以降は稲葉家10万石の居城。幕末の藩主稲葉正邦は老中となり、鳥羽・伏見の戦いの際も現職にありましたが、千両松・富ノ森で敗れた旧幕軍が退いて淀城に拠ろうとしたところ、淀城の留守居衆が独自の判断でそれを拒否。譜代の、それも老中という要職にある大名家に叛かれた旧幕軍の命運はここに尽きたと言えるでしょう。
現在、淀城の遺構は本丸の一部のみです。また、本丸跡には稲葉神社・與杼神社があります。
明治時代に城外から遷座した與杼神社。これは重要文化財の拝殿です。
奥に進むと本丸石垣が見られます。
本丸の南東には天守台。
当初移築される予定だった伏見城天守が二条城に移築されたため、その二条城にあった天守が替わりに移築されたと伝わります。五重天守でしたが、天守台より一回り小さかったため、天守の周囲を二重櫓と多聞塀で囲まれていました。残念ながら江戸時代中期に焼失して現在に至ります。
天守台穴蔵は立入禁止でした。
素材は良いので、もうちょっと整備してくれると嬉しいですね。