日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

備中松山城の写真一覧

2度目の訪問です。前回はカメラも腕も未熟でしたので撮り直しに来たのでした。


(1/29更新完了)

根古屋跡の高梁高校から小高下谷川沿いを進みます。


途中で川を渡り、遊歩道へと向かいます。


往時の登城道に近い中国自然歩道を登っていきます。
朝なのに物凄く蒸し暑くて、あっという間に汗だく。周りを飛ぶ虫がたくさん居て鬱陶しいですし、夏場にこの道を登るのはあまりオススメできません。ちょっと遠回りですが舗装された防災道路の方が良いかと。今回も帰りはそちらから降りました。なお、有料のシャトルバスも出ています。


大石内蔵助の腰掛け石。
何故ここに大石内蔵助がと言うと、備中松山藩主水谷家が無嗣断絶となった際に、赤穂藩備中松山城受け取りを命ぜられ、家老大石内蔵助が出向いているのです。大石はその後1年余り在番し、登城の際は麓からの登山道の中途にあるこの石に腰掛けたと伝えられているそうな。


鞴峠の駐車場を過ぎて暫く進むと中太鼓櫓跡に出ます。


市街地を望めるのはここ中太鼓櫓跡からだけ。本丸や天守からは見えません。


中太鼓櫓跡から5分ほど登るとようやく備中松山城の中止部が見えてきました。


高石垣が聳える大手口。
壮観さという点では備中松山城随一のスポット。ここが見られただけでも苦労して登ってきた甲斐があります。


ただ、ちょっと気になるところも。
土砂が流出するのか、石段が土嚢で補強されていました。


また岩盤も崩落の危険性があるみたいです。


さて、大手門跡から先へ進みます。


大手門脇の二の平櫓跡から振り返って高石垣を見ます。こちらからは一層高さを感じる眺めです。


三の平櫓東土塀。現存部分(重要文化財)は手前側10m足らずですが。


二の丸跡までたどり着くと、ようやく天守(右奥)を目にすることができます。
手前は復元された六の平櫓・五の平櫓。


本丸への入口である表門は、六の平櫓と五の平櫓の間にあります。
また階段上に受付があり、本丸は有料となっています。入場料300円。


表門の正面には天守が。
まだ開門時間(9時)を15分ほど過ぎたばかり。平日のためか先客はいないようなので、取りあえず天守へと急ぎます。


小さくて可愛らしい二重二階の天守現存十二天守の中で最小です。


天守への入口。本来は手前に多聞櫓があって、それと連結していたようです。


接続廊下と呼ばれる天守入口。その名の通り、多聞櫓と天守を接続していた部分です。


天守1階。


1階の窓から見た本丸。狭いですね。


囲炉裏。
天守は日常生活の場ではありませんが、一応非常時を考慮していたようです。


1階北側の装束の間。武者隠し的なスペースです。
テレビとビデオが置いてあるのは、どうにもミスマッチ。


1階東側は張出部分で真上に2階はありません。梁が剥き出し。


狭い階段を登って2階へ。


天守2階。奥の間は宝剣などを祀った御社壇。


御社壇側から見た天守2階。


2階からの眺めはあまり・・・。


外に出ると青空が♪


天気は諦めていましたが、こうして青空の下で天守を撮影出来るとは。本当にラッキー。


続いては天守の裏手へ。今は使用されていない東門脇の階段を進みます。


天守東側を回って、


天守北側へ。
左手前に見えるのは北門。こちらも閉鎖されています。


そして天守の裏に隠れるように二重櫓があります。こちらも現存建築で重要文化財
でも二重櫓まで気に留める観光客はほとんど居ないでしょうね。


引き返して六の平櫓の中へ。ご覧のとおり木造で復元されています。内部では備中松山城のビデオが流れていました。


六の平櫓からは入口の階段が丸見え。ここが最終防衛ラインですね。




さてここからは本丸を後にして、さらに奥に位置する大松山城を目指したのですが、後曲輪の石垣が崩落のため工事中で先に進めません。
前回は大松山城まで達するも倒木で一部しか見学できませんでしたが、今回は行くことすら叶わず・・・果たして三度目の正直はあるんでしょうか。



仕方がないので、晴天の下での写真を撮り直しつつ下山の途に着いたのでした。