日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

JR東日本パスの旅〜第2弾〜/1日目/福島県中通り

いまこんなときだからこそ福島へ。
原発事故の影響も多々ありましたが、全体的にみれば”日常”がそこにはありました。


(9/24更新完了…冒頭写真は阿津賀志山防塁の看板)

東北新幹線(大宮→郡山)

6:26発の下り始発便で出発しました。1枠目の指定席を利用。
震災による臨時ダイヤのため、通常より10分遅い1時間5分かけて郡山に到着。


つばさのロゴ。格好良いですな〜。つばさは好きな車両です。


まだ7時半とはいえ郡山駅は静かでした。うーん、やはり震災の影響がまだあるのかな・・・。
取りあえず駅レンタカーで車を借りて史跡めぐりへと向かいました。今回も特別料金の1日3500円です。
なお、市街地を走ると交通量はそこそこあり、郡山駅で不安を抱いていた私としては何だか安心しました。

大安場古墳

まずは須賀川方面に向かって南下。こちらには8時過ぎに到着したのですが、駐車場が閉まっていました。8時半まで開かないらしく、そのうえ古墳のある史跡公園に入れない様子。出入り自由と思い込んでいたので思わぬ誤算です。
8時半まで待つか、一旦先へ進んで折り返してくるときに立ち寄るか、悩んだ末に後者にしました。

五輪塔

のどかな風景が広がる集落の中、一本の高い木の下に小さな社があります。


その社に収められている石造五輪塔重要文化財)。
源平時代(治承五年)の銘を持ち、日本に数多ある五輪塔の中でも最古クラスの貴重な石塔です。

須釜東福寺舎利石塔

何気ない小さなお寺。


その境内に重要文化財の小さな石塔があります。内部に仏舎利を収めていたものです。


小さな穴の向こうに石像が見えました。この石像が仏舎利を収めた穴を塞いでいるそうです。

須賀川一里塚

奥州道中(奥州街道)の一里塚。道の両側が残っているのは珍しいですね。国指定史跡。

大安場古墳

戻ってきましたが、もう10時。すっかり遅くなってしまいました。急いで古墳国史跡)へと向かいます。


がしかし、見上げると何故かブルーシートが掛けられていました。嫌な予感・・・。


やっぱり><
地震により亀裂や孕みが発生したため、古墳周辺が立入禁止になっていました。9月現在でも立入禁止のままのようです。


→(公式サイト)大安場史跡公園


ガイダンス施設は無事。入館無料です。


もう少し古墳に近づけないものかと南側へ回ってみました。なかなかに迫力のある眺めです。


まあ此方もこれが限界で立入禁止になっていたのですが。

安積歴史博物館(旧福島県尋常中学校本館)

郡山の市街地中心部へ。県立安積高校の敷地内にある旧校舎で重要文化財
残念ながら震災の被害を受けて休館でした。


そして9月現在も休館中。


→(公式サイト)公益財団法人 安積歴史博物館 | 旧福島県尋常中学校本館


見たところ外観には影響なさそうでしたが、内部は分かりませんからね。

人取橋古戦場

国道4号を北上して本宮市内へ。主要幹線だけあって交通量多かったです。
その国道4号沿いに人取橋古戦場の標柱が立っています。人取橋の戦いとは、伊達政宗が数に勝る佐竹氏らの南奥連合軍を苦戦の末に撃退した合戦。大軍同士が激突した合戦ですから、ここのみならず付近一帯の広範囲が古戦場です。
また、標柱とともに、この合戦で討ち死にを遂げた伊達氏の老将鬼庭左月の供養墓が建っていました。

阿武隈川

そのまま国道4号を北上。久しぶりに二本松城に立ち寄ろうかと考えていたのですが、時間が押していたので取りやめにして先へ急ぐことに。
国道4号に別れを告げて旧飯野町へ向かうと、阿武隈川沿いに出ました。別段有名な景勝地でも何でもない場所ですが、実に気持ちのいい眺めでしたので、思わず車を止めてしまいました。


水量が少なく、岩がゴロゴロ。


釣り人発見。何が釣れるのでしょうか?

和台遺跡

平成18年、国指定史跡となった縄文時代の遺跡。しかし平成16年に旧飯野町教育委員会が設置した説明板しか見当たらず。

鮎滝渡船場

阿武隈川に設けられた渡船場。明治時代の初めまで使用されていたそうです。国指定史跡。
現在はすぐ近くに上蓬莱橋が架けられ、橋の上から見下ろすことができます。写真下方、川の両岸に突き出した岩場がそれです。


看板脇から東岸へ降りることができます。でも整備はされていないので覚悟はして下さい。
まあとにかく自然豊かな道です。リスだかイタチだかネズミだか分かりませんが、そのくらいの小動物に道でバッタリ行き合いました。猪や熊でなくて良かった・・・。


苦労の末に降りてみると、このように渡船場が残っていました。渡し船が行き交う様子が目に浮かびます。時代劇のロケにも使われそうな雰囲気。


渡し船を繋ぐ石穴も残されていました。


船場から先ほど見下ろしていた上蓬莱橋を見上げる。かなり高いですね。

下鳥渡供養石塔

福島市西部の住宅地へ。日吉神社近くに下鳥渡供養石塔(国史跡)があります。


どこにあるか分からずウロウロしてしまいましたが、日吉神社の北東にて発見。


鎌倉時代に建てられた石塔です。

福島市民家園

あづま総合運動公園にやって来ました。緑が美しくて気持ちいいところです。


しかし残念ながら民家園は震災の影響により休園中。園内にある旧広瀬座(重文)がお目当てでしたが、園外からでは姿かたちすら拝めず。
ここは駅から遠いので何とか今回見学しておきたかったのですが仕方ありません。今度はバスで来るしかなさそうです。
なお、7月1日に再開しています。


→(公式サイト)福島市民家園

伊達郡役所

福島市よりさらに北へ進んで桑折町へ。
伊達郡役所(重文)も休館中。うーん、残念です。

桑折西山城跡

気を取り直して次へと向かいます。桑折駅の西側に位置するこの城は、伊達氏が米沢城に移るまでの居城。国指定史跡。


夏草を踏み分けて本丸跡に到達。
草が生い茂っていて、どうにも歩きまわる気になれず、そのまま引き上げました。


本丸跡からの眺めは、まあそれなりに。

石母田供養石塔


さらに北へ進んで国見町へ。国指定史跡の板碑を見学。

阿津賀志山防塁

続いては、奥州藤原氏が対源頼朝の防衛ラインとして築いた遺構を見学に向かいます。
中央に見えるのが厚樫山(阿津賀志山)。そこから阿武隈川に向かって南へ3km余に渡って土塁と空堀が構築されました。


まずは厚樫山の展望台へと向かったのですが何故か通行止め><
これも震災の影響でしょうか?


こちらは国道4号沿いに残る防塁(国史跡)。


反対側から見るとよりハッキリ分かります。向こうに見えるのが国道4号


防塁もう一ヶ所見学。先ほどの地点より南へ1.5kmほどのところです。



こちらは二重堀が残っています。堀が浅いのは土砂が堆積したからでしょう。


この周辺は田園地帯。美しい水田が広がっていました。しかし福島県放射能云々で騒がれていて、果たしてどうなるのか・・・無事出荷出来ることを願ってやみません。

宮畑遺跡

本日最後の目的地。国指定史跡の縄文時代遺跡は公園として整備中でした。


その名も「じょーもぴあ宮畑」。平成26年度全面オープン予定だそうです。ただ震災の影響で遅れるかもしれませんね。

東北新幹線やまびこ315号(福島→仙台)

レンタカーは福島駅で乗り捨て。


ここから秋田へと向かいますが、福島駅にこまちは停車しないため、まずはやまびこで仙台へ。車両はこまち型のE3系でしたが。
福島から仙台までは約30分。自由席でもかなり空いていました。

秋田新幹線こまち139号(仙台→秋田)

仙台で20:04の秋田行に乗車。全車指定席ですから当然指定席を利用です。



仙台駅で購入した「やわらか牛タン弁当」が本日のディナー。売店最後の1個でした(汗)
ヒモを引っ張ると加熱して温かい状態で食べられます。一時期流行りましたけど、最近は珍しいような。


22:56秋田駅到着。


そのまま宿へと向かいました。



本日の走行距離200km。休館休園で見学できないところが多く、その分だけ移動時間が増えて、たくさん見て回れたのだと思います。