日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

ツーデーパスの旅2010〜第1弾・常総編/1日目/茨城県

昨夏発売されたツーデーパスが帰ってきました。
前回より500円upしていますが、その代わりに利用できる路線も増えています。そしてレンタカーが2000円で利用できる特典は変わらず。昨年は1回しか利用できなかったので、今度は何回か利用しようと目論んでいます。そして今回はその第1弾。
まず初日は、常磐線で土浦に出て、レンタカーを借り、筑波山周辺の城跡を中心にめぐってきました。城跡の他は古代遺跡に古民家と、我ながら地味なところばかりになってしまいましたが、たまにはいいでしょう(^^;
ちなみに今年は、近くて遠い隣県の茨城を重点的に攻めようと画策しています。


(2/27更新完了…冒頭写真は小田城本丸跡)

土浦駅到着

自宅を6時前に出発し、高崎線で上野へ。上野から常磐線に乗って約1時間、8時頃に到着しました。
駅前の駅レンタカーでレンタカーを借りて、いざ出発。相変わらずのペーパードライバーで、今年の初運転ですが、レンタカー利用も4度目なので、だいぶ慣れてはきたと思います(^^;

上高津貝塚

最初に来たのは土浦市内の縄文遺跡。国指定史跡。
公園として整備されており、朝の散歩に来ている人もちらほらと。


復元された竪穴式住居。縄文遺跡の定番ですね。


ただの地面・・・ではありません。貝塚露出展示で、白く見えるのが貝です。遠目には小石にしか見えませんが(笑)


貝層断面展示施設なんてのもあります。


巨大なチョコアイスバーみたいなのが、復元された貝層。


貝殻がビッシリ!



さて、お次はつくば市に入り、金田官衙遺跡へ向かったのですが、茨城県のサイトで示されたあたりに、遺跡を示すようなものは見当たらず。まあ、そんなこともあろうかと思い、こちらも次善の策を用意してあるわけですよ。近くに桜歴史民俗資料館があるので、そこで遺跡の位置を確認すればいい、と。それで行ってみたのですが・・・改装工事でまさかの休館( ̄□ ̄;)!!
・・・残念ですが、気持ちを切り替えて次の目的地へと向かいます。

大塚家住宅

重要文化財。生活感が漂っているうえに、見学案内などは全く出ていないので、外観だけ撮って引き返してしまったのですが・・・実は見学させてもらえたらしいのです。リサーチ不足でした(x_x)


お空の下で遊ぶしねぇ?


ちなみに大塚家は、太田道灌の子孫で、小田氏の家臣であったが後に帰農して代々名主を務めた家柄、とのこと。
しかし太田道灌の子孫というのは、系譜上どのあたりに位置づけているのだろう? しかも小田氏家臣って・・・正真正銘道灌の子孫である太田三楽斎は、小田氏を打ち破っているが、何か関係があるのだろうか?
それと、文化財としては「大塚」で指定されていますが、「太塚」という表記も見え、一体どちらが正しいのか、はたまたどちらも正しく、使い分けているのか。それも気になるところですが、全ては謎のまま次へ向かいます。

小田城跡

常陸の名族小田氏の居城。国指定史跡。
南北朝期には北畠親房を迎えいれて足利方と対峙しています。結局、小田氏は降伏して、北畠親房は関城へ逃れることになりますが、この城にて『神皇正統記』を執筆したことは有名ですね。
そして戦国期には、佐竹氏の客将・太田三楽斎が手這坂の戦いで小田氏治を破り、三楽斎の次男・梶原政景が入城しています。


本丸を中心に土塁や堀などの遺構がみられます。堀はかなりの広さ。浅いのは土砂が堆積しているためでしょう。発掘調査では障子堀も見つかったとか。


まだ発掘調査は行われているようです。さらに平成16年から10年に及ぶ復元整備計画が進んでいるようで、どうなるのか楽しみですね。


そして小田城といえばこれ。本丸を斜めにぶち抜く筑波鉄道廃線跡です。
これはこれで、今後も残していって欲しいですね。遺跡破壊の点からも、そして鉄道史の面からも重要な資料でしょう。


あと、小田城で気になったのがこちら。
本丸北東部の土塁上に、遠目にも分かる五輪塔があります。


かなり立派ですが、何ら説明もない謎の五輪塔

平沢官衙遺跡

常陸国筑波郡郡衙跡。遺跡公園として整備されています。国指定史跡。
金田官衙遺跡とは同じつくば市内ですが、あちらは河内郡郡衙跡。


復元された3棟の高床式倉庫が立ち並んでいます。

真壁城跡

つくば市から旧真壁町(桜川市)へ。
真壁城は、小田氏と同様鎌倉時代からの由緒を持つ真壁氏の居城。戦国末期には佐竹氏に従属しています。


本丸跡には、体育館などが建っていて、石碑もここにあります。
このように本丸跡は冴えない感じですが、この東側に遺構がみられるワンダーランドが広がっているので、ここで引き返さないで欲しいですね。


二の郭のあたりは工事中?


三の郭・四の郭は復元整備されていました。


食い違い虎口ですね。


南側に復元された土塁。堀底にあたる場所から見上げると、迫力があって圧倒されます。


三の郭・四の郭を結ぶ土橋。


三の郭の櫓台と空堀


広大な四の郭。
それにしても、これほど整備されているとは思いませんでした。現時点での見ごたえは小田城より上ですね。

柿岡城跡

加波山系の峠道を越え、旧八郷町(石岡市)へ。
佐竹氏の客将・梶原政景の居城。父・太田三楽斎の片野城とともに対小田氏の前線拠点となりました。小田氏を追った後、小田城に入ったことは先述したとおりです。
現在は本丸が柿岡小学校となっています。校内に石碑があるらしい・・・確認してこなかった(-"-;)

片野城跡

柿岡城の東南約2km。流転の名将(?)太田三楽斎が辿り着いた終の棲家です。
この日、レンタカーを借りて茨城をめぐったのは、全てここに来るためと言っても過言ではありません。そうです、私のはてなidは、彼に因んだものなのです


ここでは三楽斎について語ったことがないので、今更ではありますが、簡単に記しておきます。
彼への思い入れが強いのは、何と言っても我らが埼玉随一の戦国スターだということに尽きます。ローカルヒーローってやつです。しかもお隣(合併後は市内)の岩槻を本拠にしているのが大きいですね・・・埼玉南部は有名人が少ないので特に(^^;
勝率が低いとか、息子に追い出されたとか、ショボイところもありますけど、北条・上杉・武田ら大国の狭間で光を放っていたのは彼くらいなものです。岩付追放後も、信長や秀吉と独自に交渉していたり、特に信長には直参を許され、中央にも知られた存在でした。


そんな彼が最期を迎えた地は、長らく行ってみたかった場所なのですが、なにぶん車でないと不便な場所ですから、なかなか叶わずにおりました。しかし今回とうとう念願叶ったのでした\(^o^)/


しかしこの片野城。被写体としては全く冴えない。城跡はほとんどが森で、あとは畑と住宅地。一体どこを撮ればいいのやら('';)ウーン


それでも三楽斎の墓さえ参拝できればと、墓所があるという浄瑠璃光寺(城跡にある無住の寺)へ行ってみたのですが、どうにも見当たらない。それらしき五輪塔はあったものの、帰ってから確認してみたところ、それはどうやら違ったらしい・・・( ̄□ ̄;)!!
このままでは終われない。近いうちに再訪を期す。

佐久良東雄旧宅


佐久良東雄(さくらあずまお)は、幕末の尊攘派国学者井伊直弼を暗殺した水戸浪士を匿ったことから捕縛投獄され、絶食の末に獄死しました。
当家は彼の生家で、国指定史跡となっています。しかし国史跡にするほどの場所なのかは疑問。それに彼がここで過ごしたのは9歳までのことだそうで。古民家としての文化財的価値はありそうですが。

善光寺楼門

笠間へ向かう途中で立ち寄りました。重要文化財
「楼門」とは言うものの、二階部分のない不完全な形態です。

楞厳寺山門

道祖神峠を越えて笠間市へ。
楞厳寺境内からだいぶ離れた場所に山門(重要文化財)はあるのですが、事前の調べではハッキリとした場所が分からなかったので、取りあえず楞厳寺へと車を進めていくと、500mほど手前で発見しました。



より大きな地図で 史跡名勝文化財マップ−茨城県 を表示



この後は笠間城や笠間稲荷へ向かう予定でしたが、微妙な時間になってきたので、安全策を採って、取りあえず水戸市内へ移動。

台渡里廃寺跡

奈良〜平安時代にかけての古代寺院跡。国指定史跡。
台渡里八幡神社に石碑や説明板があります。


少し離れた南の住宅地にも史跡地が。北側の寺院が焼失した後、こちらに建て替えたらしい。

馬渡埴輪製作遺跡

最後はひたちなか市へ。日も暮れかかっているので急ぎます。
こちらは公園化しています。発掘された遺跡は埋め戻され、生け垣がその場所を示している模様。国指定史跡。

虎塚古墳

小さな前方後円墳。国指定史跡。
春秋の年2回、石室の壁画が公開されるとのこと。今春は3月25日〜28日だそうです。

勝田駅出発

レンタカーは勝田でレンタカーを乗り捨て。土浦からは50km圏内ですので乗り捨て料金不要。本日の走行距離は約140kmでした。
そして予定どおり特急フレッシュひたち52号(17:46発)の自由席に乗車。ツーデーパスは特急別料金なので上野まで1300円。普通列車でも余裕で帰れる時間でしたが、明日も早いですし、身体を休めるためにも特急を利用しました(^^;