源平の争乱/上杉和彦/吉川弘文館
- 作者: 上杉和彦
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2007/02/16
- メディア: 単行本
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「戦争の日本史」シリーズの第6巻。
近年の研究を盛り込んだ源平合戦の総括的内容となっております。巻末に挙げられた参考文献には私も読んだものが多いので復習になりました。
ただ、義経に関するあたりは私もそれなりに勉強していたせいか、いくつか不満が残る部分が目に付きました。以下それらを列挙しておきたいと思います。
不満その1
まずひとつめは、義経の自由任官問題についての見解が旧態依然としている点。しかも自由任官への疑義を呈する新説を踏まえることすらないのは如何なものか。自由任官問題は、頼朝・義経の対立を考えるにあたって、大きなウェイトを占めるであるから、これにはもっと正面から取り組んで欲しかった。
不満その2
屋島への出陣を、「義経独自の判断によるもの」で、「以後の西国における義経の戦いが、頼朝ではなく後白河院の指揮下で展開」した、と宮田敬三氏の論*1に基づいて述べているのですが、この件については以前にも言及しましたように、その根拠たる『吾妻鏡』所収の書状の真偽について、及び、義経と入れ替わりに中原久経・近藤国平が畿内を沙汰するために上洛したことをどのように捉えるのか、この2点の検討が必要でしょう。
ですから、それについて検討するか、或いは論の紹介に留めて欲しかった。
不満その3
『腰越状』の真偽に対する検討はなく、従来の「腰越状的理解」に留まっている。前著『大江広元 (人物叢書)』から2年経つものの、変化がみられないのは残念。
以上、頼朝と義経の対立に関連する諸問題については不満があるのですが、本書での分量は少ないことを考えれば、全体的な評価を大きく下げるほどではないかもしれません。
逆に興味深い見解もありました。富士川の戦いについて、『吾妻鏡』に基づく頼朝の参戦そのものを疑い、黄瀬川に留まっていたとする推察しています。その根拠として挙げているのは、合戦の前日及び翌日のどちらも黄瀬川に在陣とあること*2、そして頼朝が合戦日に布陣したとされる賀島は、武田信義と平維盛が対峙した富士沼(浮島ヶ原)より西にあたるため敵陣の背後に布陣するという矛盾が生じること。
賀島・富士沼の位置関係を知らないので、出来れば地図が欲しかったところではありますが、それはともかく如何にも『吾妻鏡』がやりそうな脚色で面白い。