日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

風林火山 第9回「勘助討たれる」

「諸君らが愛してくれた勘助は死んだ!なぜだ?!」
・・・いや、死んでねぇし(-.-;)y-~~~~


仰々しいサブタイに、お約束の展開。これはもうダメかもわからんね(-"-;)

禰々御料人は13歳

天文九年(1540)当時、彼女は数え年で13歳。現代に置き換えれば小学六年生。キャスティング間違ってやしないか?(^^; しかも3年後に早世するのであるから、今後しっくりくるという可能性も皆無なわけで。
三条夫人とのシーンをみると、桜井幸子池脇千鶴をチェンジしたほうがまだ良かったような。

諏訪御料人は10歳前後

天文九年(1540)当時、彼女は10歳前後。何も言うまい・・・(笑)

クーデター決意のワケ

廃嫡されそうになったから? その件は『甲陽軍鑑』にしかみえんしねぇ。しかも元旦の盃の話は天文七年(1538)と、3年前のことになってるし。それから駿河に体よく追い払われそうになる話ですが、これは典拠なんてあるんかいな?
それにそもそもそんな私事が理由だとしたら、無血クーデターが成功するはずもない。
とすると、信虎の対外戦争を推進政策への反発から? いえいえ、それも有り得ない。信玄が信虎の路線を引き継いで対外戦争を推し進めたことは周知の事実。それじゃ公約違反だ。
じゃあ一体何なんだ。私にはよく分かりません。これに関して的確で簡潔な見解についぞお目に掛かったことがない。