日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

信長とは何か/小島道裕/講談社選書メチエ

信長とは何か (講談社選書メチエ)

信長とは何か (講談社選書メチエ)

  • 第1章、「大うつけ」―若き日の信長
  • 第2章、桶狭間
  • 第3章、天下布武
  • 第4章、岐阜城の信長
  • 第5章、岐阜城下と楽市令
  • 第6章、上洛
  • 第7章、信長の敵―戦国時代とは何か
  • 第8章、合戦と講和
  • 第9章、公家になった信長
  • 第10章、安土城下町(1)―城と家臣
  • 第11章、安土城下町(2)―町と楽市令
  • 第12章、本能寺の変―信長を殺したもの


中世社会における信長の位置づけに関する論考。
第一章に信長の特性について興味深い見解がありましたので、少し長いけど引用しておきます。

およそ、権力を握ることは比較的容易でも、従来の権威を乗り越えて新しい権威になることは、よほどむずかしい。なぜなら、権力は自力で勝ち取ることができるが、権威というものは周囲から認められて初めて生じるものであり、そのためには周囲が認めるあり方にならなければならない。ところが人々が認識しているそのあり方というのは、つまり既存の権威そのものだから、既存の権威に合わせなければ新しい権威にもなれない、というジレンマが生じてしまうのである。既存の権威を容認してそれによる権威づけを図ることは簡単だが、それではいつまでも同じ事の繰り返しであり、決して新しい権威、新しい体制は生まれてこない。これが実権を失った朝廷や幕府が延々と生き延びた理由であり、父信秀を始め、京都に政権を作りながら体制を覆すことができなかった三好長慶など、すべての戦国大名がことごとく失敗してきた点である。
では、どうすればよいか。「大うつけ」の振る舞いをすれば、既存の権威に従っていないことはわかっても、それだけではただの「大うつけ」「大たわけ」にすぎず、非常識なだけなのか、それとも実は別の内実があるのかはわからない。それを示すためには、一度は権威を受容して、周囲に自分が実は権威がある人間であることを見せつけておかなければならない。周囲がいったん権威をして認めてくれれば、その権威を捨てて新たな権威となることも可能になってくる。

受容と超越を繰り返して、徐々に大きくなっていった信長の権威。分かりにくい権威と権力の関係性も含めて的確に表現されていて、「なるほど」と納得させられました。


また、最終章では「天下統一」の戦いの必要性に対して疑問を呈していますが、これも興味深い問いかけです。それは、中央の権威を振りかざして、武力で相手を屈服させる方策に対する疑問。朝倉氏や長宗我部氏のようにそもそも敵対関係でない相手にも、信長は戦争をしかけて権力の拡大を図っている。だからこそ信長は四方八方が敵となったり、その方針について行けなくなった味方の裏切りに何度もあって、最期は本能寺の変に斃れたわけです。
このような武力による強引な変革を推し進める以外にも様々な可能性があったのではないか?というのが著者の主張。天下統一は平和な社会を築くために必要なことだった、というようなこれまでの既成概念も見直す必要があるのかもしれない。