日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

功名が辻 第9回「初めての浮気」

前回大盛り上がりだった反動か、今回はしょんぼり。毎度毎度、ネタの宝庫だとしんどいので、それはそれでまあいいか。長澤まさみちゃんも可愛かったし。

金ヶ崎退き口から京都出立まで

元亀元年(1570)4月28日に撤退を開始し、信長が僅かな人数で京都に辿り着いたのは4月30日。となると後続、特に殿(しんがり)の木下勢が京に入ったのは5月に入って数日経ってからだろう。信長が岐阜に向けて京都を出立するのは5月9日。
つまり、木下勢が京都で過ごした日数は数日ほどで、長くても1週間か*1。そんなわけで、大怪我が癒えて体力が回復するまでの時間は無かったように思われます。一豊が重傷を負ったのはこのときではないとみられるので、無駄な考証でしょうけど。

撤退する木下勢に徳川家康が加勢する話は

何が元ネタなのでしょうか?
ドラマや小説などではよく見られる話ですが、「いかにも〜」な創作臭がプンプンするんですよね。少なくとも『信長公記』には見えず。

岐阜への帰還まで

5月9日に京都を出立し、5月21日に岐阜帰還。時間がかかったのは、南近江に諸将を配置するため、さらに浅井氏に近江路を塞がれて伊勢路へと迂回しなければならなかったため。

杉谷善住坊

浅井久政が間接的に依頼していましたけど、『信長公記』では六角承禎が雇った刺客。
脅しのためにワザと外したという設定でしたが、何のための脅しなの? 解説キボンヌ。

*1:ドラマでも「数日が過ぎ」と言ってましたね。どの程度を想定しているのかは分かりませんが。