日本史日誌

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馬子ゆかりの島庄遺跡で北限の塀跡…奈良・明日香村

飛鳥時代の大豪族、蘇我馬子(?〜626年)の邸宅跡とされる奈良県明日香村の島庄遺跡で、遺跡の北限とみられる7世紀半ばの塀跡が出土したと、同村教委が4日発表した。
大化の改新(645年)で蘇我氏が滅亡した直後、朝廷が接収した際に築いたものと推測される。
出土した地点は、馬子邸の中心施設とみられる大型建物跡の北約200メートル。直径20〜25センチの柱穴4基が約8メートルにわたって一列に並んでいた。
遺跡の南端は大型建物跡の南60メートル付近とみられ、周辺の地形から、東西は約250メートルと推定されるので、馬子邸の敷地は甲子園球場のほぼ1・5倍にあたる6ヘクタール以上もあった可能性がでてきた。
(読売新聞)

島庄遺跡の続報です。
塀は朝廷が接収した際に築いたもの、ということですが、そうなると馬子のときの敷地はどのくらいに推定されるんだろう? もう少し小さいと考えるべきなのかな。