日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

牧野成貞の妻女と養子について

『大奥〜華の乱〜』第1話を見て、登場人物について気になった点を三つ挙げました。


日本史日誌 - 大奥〜華の乱〜/第1話/フジテレビ

  1. 牧野成貞の娘・安子のこと。徳川綱吉の側室になったのか?
  2. 牧野成貞の室・阿久里が徳川綱吉のお手付となった話のこと。
  3. 牧野成貞の養子・成住のこと。成貞の後継者・成春とは別人か?


これらの疑問に対して、貴重な情報を頂きました
三田村鳶魚の「牧野備後守の献妻」という話は『大名生活の内秘―鳶魚江戸文庫〈16〉 (中公文庫)』に所収されているようです。そしてどうやらこれが今回の設定のベースになっているものと思われます。


さてこれによりますと、全勝寺(新宿区舟町)にある「玉心院殿正顔貞本大姉」石碑に「源成貞之婦人某」が「上君の寵顧を蒙り公室に歯《よはひ》すと難《いえど》も」とあることから、牧野成貞の室が徳川綱吉のお妾となったとし、推論を展開しています。


次いで、牧野成貞の養子・成住*1についての紹介があります。
黒田信濃守直相*2の次男で、牧野成貞の次女・安の婿となったという。戸田茂睡の『御当代記』に、「同廿七日*3、牧野美濃守*4病死、夜前食傷に依て也」とあり、急死したものらしい。その後、成春*5が養子に迎えられたようだ。


それから『三王外記』という書にある話を紹介。それによれば、

綱吉が牧野の屋敷へ往かれた時、成住の妻がお目に留って、お戯れなされた。それを聞いて、成住は自殺した。成住の妻も、その後病死をした。

だそうな。
自害したのは阿久里ではなく成住で、安(安子)も大奥には上がらず、お手が付いたのも牧野邸ということになっている。この辺りは番組が脚色を入れたということだろう。


ただこの『三王外記』というのは、ゴシップ記事を集めた信頼性の乏しい書物だそうで、真相は藪の中といったところか。

*1:成時とも。

*2:徳川綱吉の館林藩主時代の家臣。

*3:貞享四年(1687)9月

*4:成住

*5:牧野成貞室の甥