日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

滋賀・安土城 大手門前に大規模広場跡

織田信長が築いた安土城滋賀県安土、能登川町)南側の大手門跡前で、戦国時代の城として前例のない大規模な広場跡が見つかり、県安土城郭調査研究所が18日、発表した。城攻めの際、敵の陣地となって防御に不利になりかねないが、自らの権威を高めようと、天皇行幸をもくろんだ信長が、あえて築き、出迎えの儀式などを行おうとしたとみられ、安土城の特異な構造が一層、鮮明になった。
大手門の南約44メートルに一直線に並ぶ石垣が4か所で出土し、大手門を中心に東西3か所の「虎口(こぐち)」(出入り口)との間に、東西100メートル、南北44メートルの広場があったと推定した。さらに南は沼地だったとみられている。
(中略)
今回の広場跡も他の城には見られず、同研究所は「入城前に何らかの儀式を行った可能性がある。天皇や公家、従者の武士が威儀を正したり、信長の家臣が出迎えたりする施設だったのではないか」としている。

大手門跡の南側を掘ったところ、門の両脇を固める石塁から約44メートル離れた地点で、石塁と平行に、長さ2〜3メートル、厚さ0.5〜1メートル、高さ0.5〜0.8メートルの石垣が見つかった。石垣の基礎に木材が使われるなど、低湿地で沈みにくい工法が用いられていることから、石垣のさらに南側は堀とみられる水域だったらしい。石塁との間に建物跡などは見つかっていない。

「広場跡が見つか」ったわけではなく、見つかったのは石垣であり、伝大手門跡から石垣の間に礎石などが発見されていないことから広場だったのではないか、とあくまで推定に留まっていることに注意。今後の発掘調査でまだまだ変わってくる可能性もありそう。
広場だとすると、個人的には「馬出し」が思い浮かぶのですが、それとは違うんですかね。馬出し好きとしては気になる。


21日に現地説明会があるそうなんで行ってみたいとは思うものの、そんなにフットワーク軽くないんですよね。どこかしらで当日の情報が手に入る可能性に賭けよう。