日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

義経の登場/保立道久/日本放送出版協会

義経の登場―王権論の視座から (NHKブックス)

義経の登場―王権論の視座から (NHKブックス)

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  • 第4章、内乱の開始と平泉姫宮との邂逅 ―高倉範季の位置
  • 第5章、以仁王の蜂起と義経の登場 ―暴発した王統対立
  • 終章、東大寺大仏再建と平泉姫宮 ―義経の没落の先にあったもの

第五章は、本書のテーマである「頼朝中心史観からの脱却」が端的に表れた内容。
以仁王の蜂起は一般的に頼朝挙兵の先駆け程度にしか扱われてこなかったが、最近流行りの王権論によって捉えることによって以仁王蜂起の意義を評価し直している。大まかな内容としては以前にどなたかが同じような趣旨で書かれた本を読んだ記憶があるのだが。
ひとまず自分なりに整理してみることにしよう。

傍流であった後白河が中継ぎとして即位したことが王統分裂の契機。*1
前者グループはもともと鳥羽院からの正統。美福門院の養子であった二条天皇が実父後白河の禅譲を受けて即位したが、父子対立の末に二条天皇の早世によって後白河院の恣意がまかり通るようになり、皇統は傍流の高倉天皇へ。*2
しかし美福門院の莫大な遺産を相続していた皇女八条院と、その養子となっていた以仁王が王統分裂の可能性を残していた。
高倉・安徳両天皇はともに平家を外戚としたため、反平家勢力は八条院以仁王周辺に集まり、さらに後白河院と平家を繋いでいた建春門院が亡くなったことに加えて政治的対立もあって、後白河院は高倉・安徳から距離をおいて八条院以仁王側に接近し始める。結果、平家の軍事クーデターで後白河院は幽閉され、後白河院奪還を計画したことが以仁王蜂起の発端となった。


こんなところかな。


ようやく読了したところで感想を言うと、個々の項目は興味深くて面白いのだが、話があちこちに及ぶので全体としての内容理解が難しい。
それと表題に義経の名が使われているが、義経本人に関する言及は少なく、その周辺についての言及がほとんどなので、義経本人についての言及を期待している人はご注意を。

*1:はじめの分裂危機は保元の乱で決着している。

*2:二条天皇の息子・六条天皇は退位させられ、夭逝している。