お家相続/大森映子/角川選書
- 作者: 大森映子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2004/09
- メディア: 単行本
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- 第一章 江戸幕府の相続規定
- 第二章 「公辺内分」の相続
- 第三章 養子をめぐる大名家の諸相
- むすびにかえて −御恩と奉公の論理から−
好きなんです、こういう家督相続にまつわる悲喜こもごもが。江戸時代に限らずね。
相続といえば御家騒動ですが、本書は養子縁組にまつわる各大名家の苦心譚がメイン。
四代将軍徳川家綱の時代に末期養子が解禁されてから無嗣断絶の危険性がなくなって、あれやこれやと苦労することもなくなったのだろうと思っていましたが、どうもそうではなかったらしい。
初めて知ったのだが、大名そして旗本も17歳以上でないと養子を取れないという。
この原則がかなり各家を悩ませ、実際に幼主が亡くなっても養子が取れずに断絶した家、存続は認められたものの減封・転封された家も多い。*1
で、なんとかそのような事態にならぬようにと、年齢詐称や系譜書換えなどが行われるので、幕府の公式記録と実際の乖離が起きる。挙げ句の果ては、幼主の死去を届け出ずに身代わりを立てることまで行われる。
まさに「必死だな」「必死ですがなにか?」状態。(笑)
全ては17歳以上にならないと養子を取れないというルールが原因で、さらに救済策がないがゆえである。*2
幕府はこのようなややこしい事態を招いたルールを定め、また改定しなかったのだろう?そんな素朴な疑問が浮かんだ。
幼主は治世に混乱をもたらすゆえに避けろ、という理念でもあったのだろうか?
まあ仮にそのような理念が始めにあったとしても、改定もなく捏造を黙認*3していることをみれば、幕府は形式化・先例化していたことは明らか。
なんといっても、幕閣だって大名・旗本だから他人事ではなかったろうしね。
→むすびにかえて、に疑問に対する答えが用意されていました。
そもそも相続とは、奉公を前提として将軍が諸大名や家臣に対して認めてきたものであった。(中略)だからこそ、不幸にして一人前と認められる前に死亡した場合には、約束されたはずの奉公が果たされなかったことになる。従って奉公に対する御恩、つまり後継者を指名することもまた、認められなかったのである。
このような主従関係の根幹にかかわる問題であったからこそ、実態との乖離、形骸化を承知の上で、幕府は解体に至まで、十七歳の制約を撤廃することができなかった。
なるほど、建前社会ということですな。