日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

(続)都区内南部の重文・国史跡をめぐる/大田区・品川区

忙しい年の瀬の合間を縫って、先日残した宿題を果たしに行ってきました。


(1/2更新完了…冒頭写真はモース博士像)

15:30 大森貝墟碑

モース博士が発見したことで知られる大森貝塚ですが、現在2ヵ所(大田区品川区)が国指定史跡となっています。そのうち南の大田区側がこちら。大森駅から徒歩3分ほど。


ちなみに、こちら大田区側はまったくのデタラメ(>_<)
そもそもモース博士は発掘調査地点の詳細を記録しておらず、そのため2ヵ所の候補地に建碑され、共に国指定史跡となりましたが、後年品川区側であることが明らかとなり、再発掘調査でもそれが確認されました。しかしそれでも石碑はそのまま残され現在に至っています。


ゲートから細い通路を抜け、階段を降りていきます。


階段を降り、その先には石碑があるだけの狭いスペース。


目の前を京浜東北線が駆け抜けてゆきます。


1930年に建てられた「大森貝墟」の石碑。

15:40 大森貝塚遺跡庭園

そしてこちらが品川区側。大田区側から徒歩5分ほどです。
見学無料ですが冬期は16:00閉門ということで、急いで見学してきました。


こちらはそこそこ広く、地元の子供たちも遊んでいました。



これは「実物の貝層を利用して、発掘当時の貝塚を復元した」もの・・・だそうな。
意味が取りづらいですが、つまり「発掘当時のままではないけど、実物を使って再現をした」ということなんでしょうな。


もちろんこちらにも石碑はあります。


そして目の前はやはり京浜東北線が走っています。

京浜東北線京急本線(大森→品川→新馬場)

大森貝塚を制覇して電車移動。品川からは京急に乗り換えて、各駅停車で2駅先へ。

16:15 東海寺

徳川家光が沢庵和尚のために創建した寺院。かつては寛永寺や増上寺にも匹敵する規模を誇る巨刹だったそうです。


しかし旧塔頭跡に建てられた今の東海寺からは、かつての隆盛の面影は見てとれませんでした。


境内の墓地には、青山家(丹波篠山藩主)の墓所や、


徳川家光の寵愛を受けて老中にまで出世した堀田正盛(佐倉藩主)ら、堀田家墓所があります。


この他、沢庵・賀茂真淵の墓(ともに国史跡)が離れの墓地にあるので、そちらへと歩いて向かいます。

16:25 官営品川硝子製造所跡

西へ進み、東海道線京浜東北線の高架下を過ぎるとこちらの石碑がありました。区指定史跡。


そしてこの手前から延びる細い路地を進んでいきます。

16:30 旧東海寺大山墓地

路地を抜け、若干の石段を登るとそこは墓地。


この墓地に東海寺開山、沢庵の墓(国史跡)があります。


さらに国学の大家、賀茂真淵先生の墓(国史跡)もあります。



というわけで、非常にあっさりしておりますが、ひとまず宿題も済んだということで、これにて2009年の散策〆となりました。