日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

秋の武蔵嵐山をめぐる/嵐山町・ときがわ町・小川町

嵐山渓谷への紅葉狩りついでに武蔵嵐山の史跡めぐりをしてきました。
埼玉県立嵐山史跡の博物館(旧埼玉県立歴史資料館)には何度か足を運んでいましたが、本格的に武蔵嵐山の史跡めぐりをするのは実に9年ぶり。また、ここ数年訪れたいと思ってきた小倉城跡に、今回遂にというか、ようやくというか、ともかく念願の初訪問を果たしたのでした(*^^*ゞ
とはいえ、本音を言うと、嵐山は嵐山でも、嵐山(ランザン)ではなく京都の嵐山(アラシヤマ)へ行きたかったんですけどね(;^_^A


(12/12更新完了…冒頭写真は嵐山渓谷の紅葉)

7:54 武蔵嵐山駅到着

川越線東武東上線と乗り継いで1時間弱。
ここから嵐山史跡の博物館のある菅谷館跡へ向かうのが定番コースですが、今回はまず平沢寺を経由して大平山から嵐山渓谷へ向かうことにしました。

8:25 平沢寺・白山神社

かつては浄土庭園もあったという大寺院も、今は片田舎の小さなお堂といった佇まい。


この地は、太田資康が須賀谷原の戦い*1において布陣した場所で、その陣中、白山神社(平沢寺鎮守)の社頭で万里集九送別の詩歌会が行われている。県指定旧跡。

9:20 嵐山渓谷

嵐山渓谷の北に位置する大平山を越えてやって来ました。大平山から渓谷が見渡せるかも、などと考えていましたが期待はずれ。時間と体力をロスしただけでしたorz
でも、こんな美しい紅葉を見れば、いつまでも小さいことでくよくよしていられませんよね!


冠水橋。
紅葉をバックに、あるいは冠水橋をバックに紅葉をマクロで撮りたいところでしたが、上手い具合にいかず。そもそも冠水橋近辺は紅葉少なめでした。


冠水橋から撮影。嵐山渓谷は、京都の嵐山に似ていることから命名されたそうです。どうでしょう、似ているのかな?




冠水橋から引き返して見晴台周辺へ。この辺りの紅葉は撮りごたえがあります! 



紅葉と眼下を流れる槻川。



マクロも撮らなくちゃ。


京都の嵐山には比べるべくもないでしょうが、充分に堪能させてもらいました。それに何より観光客がそれほど多くなかったのがいいですね(゜_゜)(。_。)ウンウン

10:45 小倉城

さて、次はいよいよ小倉城です。東麓の大福寺境内にある登山口よりスタート。
小倉城は、槻川が蛇行する丘陵に築かれた山城。この辺りは嵐山渓谷も含め複雑な地形で、そのためか嵐山町ときがわ町・小川町が入り組んでいます。小倉城自体はときがわ町と小川町の町境にあたります。


中腹あたりまでは普通の山道でしたが、その先がまさかの急勾配。最後は道なのか、何なのかよく分からなくなったので、あとはもう気合いで本郭に強行突入!(`ヘ´)
もう少し歩きやすいルートはないものか。登るときはまだしも、降りるときはかなり危険でしたし、これはさすがに一般人には厳しいものが・・・って、普通の人はわざわざ来ないか(;^_^A


本郭の土塁。ここを含め、土塁の状態は良いです。土塁マニアは充分楽しめます。


でも小倉城といえば土塁より石垣(石積み)でしょう。戦国期の東国城郭としては珍しい石垣使用の城として知られています。
とはいえ、パッと見ごたえのある場所は、ここ郭3の外周石垣くらいしか見当たりませんでした。それも土嚢で補強された状態なので見栄えは今ひとつ(-"-;) 少し期待が大きすぎましたでしょうか。


ちなみに小倉城跡は今年3月、「比企城館跡群」のひとつとして国指定史跡となりました。まだそれに伴う影響は見て取れませんでしたが、今後は案内板などの整備が進むかもしれませんね。



麓に下りて、嵐山渓谷を対岸より撮影。
この後は、正山を迂回して嵐山町に戻り、木曽義仲ゆかりの地である鎌形・大蔵をめぐります。

12:15 班渓寺(伝木曽殿館跡)

木曽義仲の妻山吹姫が、夫と息子義高の菩提を弔うために建てたと伝わる。墓地には山吹姫の墓があります。といっても後世に建てられた供養塔なのですが。そもそも山吹姫自体が、巴御前の影に隠れているとはいえ、かなり伝説に彩られていて実像はよく分かりませんしね。
また、この地は木曽義仲生誕の地と伝わり、境内裏手の道路沿いには「伝木曽殿館跡」の看板がありました。父義賢の大蔵館からだいぶ離れているのは、嫡子ではなかったので、家臣か領民の屋敷で誕生・養育されたということだろうか。

12:30 鎌形八幡宮

境内には木曽義仲産湯の清水が残る・・・とのことですが、よく分からず。手水がそれなのか?
また、町指定有形文化財の本殿は、拝殿兼覆屋の中にあり、外からは目にすることも出来ず。

12:40 旧日本赤十字社埼玉県支部社屋

旧鎌形小学校にある明治時代の西洋風建築。県指定有形文化財
浦和から移築されてきて、講堂や音楽室として使用されていたそうですが、小学校も昨年閉校となりました。建物自体もだいぶ傷んでいるように見えましたので、今後維持されていくかどうかが心配されます。



鎌形から大蔵へ。のどかで長い道のりをひたすら東へ向けて歩きます。

13:10 大蔵館跡(大蔵神社)


木曽義仲の父源義賢の館跡。県指定史跡。
義賢は甥である悪源太義平の急襲を受け、この地で討たれた(大蔵合戦)。大蔵神社の南側と西側に土塁が残っています。

13:20 安養寺

山門が町指定有形文化財

13:25 源義賢の墓


県指定史跡。民家の庭先(畑続きになっています)にあります。
凝灰岩製の五輪塔で、鎌倉期の県内最古級のものだとか。


近くには新しく木曽義仲清水義高の供養塔が建てられておりました。
源義賢の墓と合わせて源氏三代の菩提を弔うため、2年前に建てられたとのこと。

14:05 菅谷館跡

都幾川を越えて最後の目的地へ。




小倉城跡と同様、国指定史跡「比企城館跡群」のひとつ。というか、もともと「菅谷館跡」として国指定史跡であったところに、小倉城跡・松山城跡・杉山城跡が追加指定され、同時に名称変更されたのでありますが。
菅谷館は畠山重忠の居館として知られていますが、遺構は戦国時代のもの。土塁・空堀は見事なもの。このくらい整備してもらえると、写真が撮りやすくて嬉しいですね。


畠山重忠像。薄く色付いた紅葉をバックに。

14:45 埼玉県立嵐山史跡の博物館

時間が余ったので、菅谷館三の郭跡にある博物館へ。名称が変わってから初めてになりますか。入館料も50円から100円に値上がりしてました。それでも安いけれど(^^;
展示は国指定記念で「比企の城」が開催中でした。展示品は少ないですが、充実のパンフをいただけたので大満足です。

15:46 武蔵嵐山駅出発

天気に恵まれ、ひさびさの県内観光を堪能しました。いつもよりちょっと早めですが、本日はこれにて終了です。東武東上線川越線を乗り継いで帰還しました。



今回、小倉城を訪ねましたから、今度は杉山城ですね。ちなみに杉山城も武蔵嵐山が最寄り駅なわけですが、今回とはまるっきり反対方向。

*1:太田道灌の実子である資康は、父の死後、仇敵である主君扇谷上杉定正から離反し、山内上杉方に付いて、両軍の合戦が行われた。