日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

武蔵武士の城館と旧中仙道/桶川市・北本市・鴻巣市

今日は自動車免許の更新のため鴻巣の免許センターへ行ってきました。ペーパードライバーの私ですが毎回更新は欠かしません(笑)
さて、これまで免許センターへは電車とバスを乗り継いで行っていたのですが、今回はふと思いついて自転車で行くことにしました。もちろん「史跡めぐりもしちゃおう!」という魂胆です(^^; 大宮から鴻巣は近いわけではありませんが、100km越えを果たした今春の花見遠征*1に比べれば物の数では無いわ!と意気込んで8:00過ぎに自宅を出発しました。


(7/10更新完了…冒頭写真は伝源経基館跡)

8:35 桶川宿

旧中仙道を快調に飛ばし、上尾宿を経て桶川宿に到着。
まずは宿場南側の出入口として設けられた下の木戸跡(市史跡)の石碑を撮影。


続いて旧本陣。あの皇女和宮も江戸への下向途中、宿泊したという場所で、建物も県指定有形文化財となっているのですが、残念ながら非公開。しかも外観も望めずションボリです。


また、宿場北側の出入口であった上の木戸跡(市史跡)の前には人だかりが出来ていて、どうせ帰りにも寄るのでひとまず先へ向かうことにしました。

8:55 伝足立右馬允遠元館跡

旧中仙道を離れ、桶川総合福祉センターへ。建物の脇にひっそりと石碑が立っています。市指定旧跡。
ちなみに足立遠元とは平安時代末期〜鎌倉時代初期の武士で鎌倉幕府の重鎮。かつてその名をハンドルネームとして使用していたほど、私にとっては思い入れのある人物なのですが、関連史跡の訪問は初めて。ただ、あくまで伝承地のひとつであり、他に桶川にもう一箇所、大宮にも一箇所ありますが、いずれも根拠に乏しいです。
まあ足立遠元については、いずれ時間をかけてじっくりとまとめようと思います・・・なんて言い続けて早幾年。そろそろ何とかしなくっちゃ(・・;)

9:30 宮内氷川神社


今度は国道17号を北に向かって駆け抜けます。途中、北本市内の当地に立ち寄り。
覆屋に収められた旧社殿(市有形)を見学します。埼玉南部でよく見られる見世棚造りと呼ばれる様式の小さくシンプルなお社でした。



その後は一気に鴻巣に突入し、免許センターへ。
毎度の事ながら混んでいますね(-"-;) 受付から交付まで1時間半弱といったところ。まだ講習が30分で済むからいいようなものの、2時間講習とか苛酷すぎる。無事故無違反の優良ドライバーで良かった〜♪(ペーパーなので当然ですが)


ともあれ無事に免許更新を終えましたので、史跡めぐりを再開します。
旧中仙道を再び北に向かって爆走。高崎線の踏み切りを越えてしばらく進むと箕田の集落に到着です。この地は、頼光四天王のひとり渡辺綱を輩出した箕田源氏の本拠と伝えられています。
蕎麦屋を発見したのでまずは腹ごしらえを済ませました。

12:15 宮登神社(箕田9号墳)

箕田の一帯には古墳が散在しています。ここの社殿裏に残る墳丘もそのひとつ。
箕田古墳群については下記サイトが詳しいです。


埼玉県鴻巣市の古墳

12:25 氷川八幡神社


境内には、箕田源氏の歴史を伝えんと、江戸時代に建てられた箕田碑があります。市指定有形文化財金石文)。

12:35 箕田古墳群(箕田2・4・5・6・7・8号墳)

消滅した1号墳と3号墳を除く古墳群をめぐりました。9号墳も含め、全てが市指定史跡。
写真は2号墳。この南側に伝箕田館跡(県旧跡)なのだそうですが、遺構どころか石碑も何も見当たらない。どうなってるの( ̄□ ̄;)

13:15 放光寺

結局古墳三昧となった箕田に別れを告げて南下。安達盛長開基という寺院にやってきました。


こちらがその安達盛長と伝わる木像。県指定有形文化財(彫刻)。
本堂に祀られていますが、中には入れなかったので遠くからガラス越しに眺めるのみです。
ちなみに安達盛長は、先ほどの足立遠元と系譜上では叔父甥あるいは兄弟などとされるのですが、私は眉唾物と考えています。

13:25 氷川神社

放光寺の南200mほどのところにある草深い神社。やたらと藪蚊に襲われた・・・。


市指定有形文化財の本殿。ゴテゴテした感じの装飾が特徴かな。

13:40 伝源経基館跡

鴻巣高校の南側に広がる「城山ふるさとの森」。ここが源経基の館跡と伝わる場所です。伝承だけで根拠に欠けるので「伝」が付きますけどね。県指定史跡。
緑豊かな場所ですが、しっかり整備されているので夏場でも藪漕ぎせずに済みます。これは有り難い(^^;


遺構としては単郭方形の曲輪跡、そして周囲をめぐる土塁と空堀がハッキリと確認できます。

14:05 勝願寺

鴻巣駅近くまで戻ってきました。
このお寺は徳川家康も訪れたという名刹。現在もこのように立派な仁王門を構えていますし、境内も広いです。


こちら最大の見どころは本堂の西にならぶ墓塔群です。
右から小松姫*2、真田信重*3、信重室*4、そして左端のちっこい宝篋印塔が仙石秀久の墓。
もっと正面から撮りたかったんですけど、生憎と石屋のトラックが止まっていたので、この角度が限界でした(;_:)


ちなみに小松姫は当寺の円誉上人に帰依していたので分骨され、仙石秀久は江戸から領国小諸への帰途当地で没したため分骨されたそうです。
そして小松姫と仙石秀久の墓はともに上田市の芳泉寺にもあるのですが、これは何かの偶然でしょうか?


また、境内墓地には関東郡代伊奈忠次・忠治の墓(県史跡)があります。
その他、福島東雄墓・横田柳几墓(ともに県旧跡)や、田辺藩主牧野家墓所(非公開)などがあり、地味に盛りだくさんです。

14:55 原馬室の一里塚

鴻巣から旧中仙道を通って戻ります。途中、北本宿の手前に立ち寄り。県史跡。
この一里塚、旧中仙道からは100mほど西にずれています。ということは中山道はもっと西側を通っていたということ。いったい、いつずれたのだろう? 少し気になります。

15:20 桶川宿

朝のリベンジで〆。
祭りの櫓が組まれていて邪魔なんですが、致し方ない。不満ならまた来ればいいだけのこと。近いのだから。



あとは来た道を逆に辿って帰るだけなんですが、真夏日の中、自転車で半日も漕ぎ回っていたダメージが最後にきました(-_-; それに少し息苦しいと思ったら、光化学スモッグ注意報が発令されるし・・・夏場はあまり無茶をしてはいかんですな(^^;;
それから、改めて言うほどのことでもないですが、地味な史跡めぐりになりましたなぁ。うーん、渋すぎる。ま、でも埼玉らしくていいですよね。これからもたまには埼玉の地味なスポットを地味にお届けしていこうと思います。