功名が辻 第36回「豊臣の子」
遅くなりました。先々週放送分です。なにやら視聴率は盛り返しているそうで、ズルズル行きかねないところをよく粘ってますね。大健闘ではないでしょうか。
そして今回、長らく行方不明だった六平太がついに復活。奴め、「海の向こうに行っていた」だなんて、赤マフラー*1のつもりかッッッ?!(笑)
尾張派、近江派
関ヶ原に向けての伏線なんでしょうか、いよいよ鼻に付くようになってきました。
そもそも石田三成はことさら淀殿と親しいというわけでもなく、また北政所と疎遠というわけでもなく。それに関ヶ原合戦時に北政所が東軍に味方したという話は巷間に流布しているものの信憑性に乏しく、むしろ西軍に加担していたのではないか、という説があるくらい。
唐入り宣言
李氏朝鮮との交渉など、事前の経緯が完全カット*2されているため、鶴松死去の悲しみを紛らわすための暴走として描かれているようにしか見えなかった。
新たな敵を作らねば諸侯が付いてこない、との見解も付け加えられたけど、これはこれで秀吉の小心ぶりを強調する意図があるように思う。私の僻目でしょうか?
豊臣秀次と源氏物語
文学・芸術へ強い関心を寄せ、その庇護を図るなど、文化人でもあった豊臣秀次。彼は奈良の僧侶たちを招いて源氏物語を書写させていたそうな。千代への下賜は創作でしょうが、こういう使い方は悪くない。
まあ、最初は古今和歌集を下賜するのかと思ったのだが・・・。見性院形見の品として山内家に伝わった古今和歌集高野切本(国宝)は、それ以前の由来が不明なだけに*3、古今和歌集を含む二十一代集を蒐集したという秀次より下賜されたという設定があっても、面白いと思うんだけどなぁ。
豊臣秀次と山内一豊ら宿老
朝鮮出兵に当たって国内統治は関白となった秀次に任された。そして一豊らの宿老も秀次に従って在京している。秀次の軍事指揮下にあったことは間違いないでしょう。そして領国の方では引き続き秀次蔵入地の差配を任されて、秀次の領国統治*4を支えている。
ただ、秀次の関白としての政務を補佐していたのかどうかがよく分からない。軍事や領国統治とは異なるものだと思いますが、彼らは関与していなかったのか。秀吉より付けられた宿老として距離を保っていたのか。後の秀次失脚に連座することになった前野長康・木村常陸介らは関与していたのだろうか。気になる。
秀吉が肥前名護屋城で凝ったこと
楽しそうに変梃な踊りを踊っておりましたが、あれは何?
ちなみに秀吉が名護屋で凝ったのは「能」。能役者についてだいぶ稽古に励んだ模様。学問はなくとも、芸能・芸術に熱心なのが秀吉。