日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

太田源五郎と北条氏房/黒田基樹/戦国史研究(15号)

1988年に発表された小論考。


北条氏直の弟氏房は従来の通説によると、三船台の戦いで戦死した太田氏資の娘を娶り、岩付太田氏の名跡を継承して太田氏を名乗った、とされてきました。
しかし氏房が「太田」を称していた時期が確認できる史料はなく、岩付太田氏の名跡継承は氏房の次兄・太田源五郎と混同されたものである可能性を指摘、そしてその太田源五郎について紹介したのが本論。
太田源五郎について記された史料として、

『広徳寺書上』
開基、広徳寺殿功林勲公大禅定門、北条氏政次男岩槻城主太田三楽斎養子、俗名太田源五郎天正十壬午年七月八日卒、

他にも『小田原編年録』だの『寛政重修諸家譜』だの高野山高室院蔵「北条家系図」だのにも同様の記述があるとのこと。太田三楽斎の養子とされるのは謎ですが、指摘されているように三楽斎の嫡男氏資の養子の誤りと考えれば収まりはよい。