日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

鎌倉時代まで存続の可能性 宇治・浄妙寺跡 室町期の造成跡検出

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040830-00000018-kyt-l26
宇治の浄妙寺・・・どこかで見たと思ったら、2ちゃんのスレにありました。
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1009215061/dat落ち

803 名前:日本@名無史さん 投稿日:04/05/16 19:09
>>802
「栄花」が出たところで質問だが、
藤原一族の墓は今の宇治の木幡にあって道長が寺を建てる前は木の墓標を立てただけみたいな記述があった筈だが、もしかして藤原一族の墓って今住宅地になってしまっていて跡形もないの?

804 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/05/16 19:19
>>803
日本古典文学大系本の上巻にある話ですね。「浦々の別れ」と「うたがひ」に
木幡が出て来ますが、そこには「石の卒塔婆」だけが立ち、卒塔婆や釘抜は整
理もされていない墓地の中に並んでいたので浄妙寺を建立するとある。
(これによって「平安貴族は墓参りをしなかった」とされたのが民俗学者の田
中久夫先生。最近では山田邦和先生もそうですが、私は水藤真先生の批判意見
の方を支持したいと思います。)
藤原一族の墓ですが、お寺こそ無いものの、道長のものらしいものも含めてち
ゃんとありますよ。藤原氏出身の后の墓だってありますから。
浄妙寺跡は木幡小学校の敷地内にありますが、お墓は宮内庁が管理しています。

812 名前:日本@名無史さん 投稿日:04/05/17 19:05
>>804
スレ違いになるかも知れないが、浄法寺を五摂家が再建しなかったのは?
一応、自分らの先祖の墓のある寺なのに。

813 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/05/17 20:27
>>812
「浄妙寺」ですね。中世になって各家が寺院を建立し、その四至内に墳墓が
設けられ、それぞれが祭祀を行うようになったのが大きいかと。
なお、吉地に一族の墓を設けると一族が繁栄するという信仰もありました。
これは『小右記』に書かれている事で、法華三昧堂が子孫繁栄に繋がるとい
う信仰も、『中外抄』に出て来ます。
「家」と祖先祭祀については、『日本史研究』381号の高橋秀樹先生の論文を
参考になさって下さい。

818 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM 投稿日:04/05/20 22:41
浄妙寺の事ですが・・・すみません、近世に浄土宗になった時に大善寺と改称
して存続しておりました。具体的にどういう変遷を経たのかは不明です。

819 名前:日本@名無史さん 投稿日:04/05/21 12:51
浄妙寺は現在発掘調査が行われているらしいので今後を待てということでしょうか?

820 名前:山野野衾 ◆UJr4Al4ZYM [sage] 投稿日:04/05/21 21:14
>>819
現地に行ってみない事にはなんとも。

821 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:04/05/22 12:40
宇治の教育委員会がそのうち何か報告書を出すのでは?

と、その調査結果が出たわけですな。