京都2014秋の特別公開をめぐる旅10―千本ゑんま堂から内裏跡へ―
※2014年10月30日の記事です。
船岡山からは、千本通りを徒歩とバスで南下して、千本ゑんま堂、報土寺、平安宮内裏跡と巡りました。
千本ゑんま堂(引接寺)
閻魔法王を本尊とする寺院。この世とあの世を行き来して、閻魔大王の補佐もしていたとの伝説がある小野篁によって創建されたという。
何故か紫式部の供養塔と言い伝えられており、紫式部の銅像が建てられていました。
報土寺
街中にあるごく普通の寺院といった雰囲気ですが、山門と本堂は江戸時代初期に建てられたもので重要文化財。
山門は閉じられているので、脇戸から境内へ。
ちょうど居合わせた住職に挨拶して、本堂を撮らせていただきました。
平安宮内裏回廊跡
天皇の住まいである内裏を囲った内郭回廊跡の一部がここで発掘されました。国指定史跡。
遺構は埋め戻されて、平面表示されています。ちなみにフェンスで囲まれているので、遠くから眺めるのみ。
大極殿跡
内裏のお隣にあって、国家的儀礼が催された朝堂院のうち、天皇の玉座が置かれた中心的建物が大極殿。
平安宮豊楽院跡
新嘗祭・大嘗祭などの国家的な催しの饗宴施設として使用されたのが豊楽院。その跡地です。国指定史跡。
豊楽院の正殿である豊楽殿の跡地がこちら。やはりフェンスで囲まれていました。
道路を挟んで反対の北側にも石碑と説明板が。
こちらは豊楽殿北廊跡および清暑堂跡。
清暑堂は天皇の控えの間があり、北廊で豊楽殿と連結していたそうです。
右側が豊楽殿跡、左側が北廊跡および清暑堂跡。
ただし、史跡指定され、発掘保存されているのはどちらも跡地のホンの一部に過ぎません。平城京に比べて平安京は、市街地化が進んでいるため、遺跡保存はかなり限定的です。