2014夏の九州旅行26―北岡自然公園(妙解寺跡・細川家墓所)―
※2014年7月27日の記事です。
肥後藩主細川家の菩提寺のひとつ、妙解寺の跡地にやって来ました。
明治時代に廃寺となり、細川家の別邸となった後、昭和30年より公園として開放されています。
現在も藩主歴代の墓所が残っていて、もうひとつの菩提寺であった泰勝寺跡とともに国指定史跡「熊本藩主細川家墓所」となっています。
熊本市電の新町電停から歩くこと10分。
山門をくぐるとそこは緑豊かな公園。
入園は有料なので、勿体ないことに訪れる人は少なそうです。
細川家墓所は石段の先。
見えてきました。
3棟の霊廟が立ち並んでいます。
中央の最も大きいのが、第三代*1・細川忠利の御廟。
向かって右は、忠利室千代姫の御廟。
向かって左は、第四代・細川光尚の御廟。父母と並んでいます。
親子三人の御廟の周りには殉死者の墓が並んでいます。
墓石には「阿部弥市右衛門尉通信」とありました。
忠利らの御廟の南側にも墓所が点在しています。
ここからは御廟は建てられず、墓石のみとなります。財政的な理由によるものでしょう。どこの大名家も途中から簡素化されており、細川家もその例に漏れなかったようです。
こちらは第五代・細川綱利の墓。
綱利愛用の力石。
今でいう鉄アレイやバーベルみたいなもの?
第六代・細川宣紀の墓。
第七代・細川宗孝の墓。
第八代・細川重賢の墓。名君として知られる人物です。
墓石はあまり見慣れぬ形状。まるでタコか火星人のよう。
散策路を歩いて次なる墓所へ。
埴(第九代・細川治年室)の墓と、長岡煕吉(第十代・細川斉茲の子)の墓。
第九代・細川治年の墓。
第十二代・細川斉護夫妻の墓。
第十二代・細川斉護の墓石もタコ型(?)でした。
かつては土塀があったところに、現在は支柱だけが残されていました。
残りの藩主墓所は泰勝寺跡にありますが、やや遠いので、残念ながら今回は行けませんでした。