日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

近江若狭路の旅10〜敦賀〜

※2012年7月16日の記事です


敦賀駅前でレンタカーを返却。丸2日で走行距離は約295kmでした。あまり伸びなかったのは、それだけ観光時間が長かったからでしょう。
さて、帰りの電車まで余った時間はレンタサイクルで敦賀の中心部をめぐります。駅構内の観光案内所で借りました。


敦賀駅前を出発。敦賀駅は工事中でした。


「やあ!」って感じで駅から出てくる人を迎えてくれる銅像。
都奴賀阿羅斯等(つぬがあらしと)。朝鮮半島よりこの地に漂着した人物で、額に角が生えていたとか。敦賀の地名の起源になったとのこと。


駅前には他にも銅像が。「銀河鉄道999」のメーテルと鉄郎。
ここから本町1丁目、2丁目にかけてのアーケード街に松本零士作品のキャラクター像が並んでいます。てっきり敦賀の出身なのかと思いきや無関係だそうな。港町であり鉄道の街でもある敦賀市が、敦賀港開港百周年記念事業の一環で、街のイメージに相応しいとして選び、松本氏の許可を得て設置したそうです。


宇宙戦艦ヤマト古代進と森雪。


再びメーテル


車掌さんもいました。



途中から鉄郎がイケメンになっているのに違和感を感じる。そんな設定ありましたっけ?

気比神宮

商店街で昼食を済ませてから史跡めぐり開始。
まずは越前国一宮のこちらへ。境内入口の大鳥居(重文)は日本三大鳥居のひとつ。


扁額は有栖川宮威仁親王の染筆。



社殿は残念ながら戦災で焼失。戦後に再建されたものです。

手筒山城跡

織田信長が最初の越前攻めで攻略した手筒山城。
麓に自転車を停めて、登ります。


山頂まで25分。結構疲れました。
主郭跡には展望台が建っていましたが、もう登る気力がありません。


展望台からじゃなくても景色は充分楽しめます。


彼方に見えるは敦賀港駅跡。


その隣が金ヶ崎城跡。手筒山城とは尾根続きなので、歩いても行けますが、麓に自転車があるので一旦下山します。

金ヶ崎城

敦賀港駅跡へ続く線路は今も残っていますが、踏切にはこうしてガードレールが設置されていて、列車が運行することはありません。
そしてその向こうの山並みが金ヶ崎城です。織田信長が手筒山城攻略後に開城させるも、浅井氏の寝返りで窮地に陥った撤退戦「金ヶ崎の退き口」として知られる城です。



金崎宮。新田義貞に奉じられて北陸に下向し、金ヶ崎城北朝方相手に籠城戦を繰り広げた尊良親王恒良親王を祀っています。


金崎宮の裏手から花換の小道を進みます。


敦賀市街を望む。標高が低いので眺望はあまり利きません。


尊良親王墓所見込地。
高師泰の攻撃によって落城した際、尊良親王が自刃した場所とみられます。


城内には古墳も。


月見御殿跡。


眼下に広がる敦賀湾。


そして敦賀火力発電所

気比の松原

国指定名勝で、日本三大松原のひとつ。


東西1.5kmを横断してきました。


目の前は海水浴場です。

武田耕雲斎等の墓

敦賀は武田耕雲斎を首領とする天狗党終焉の地。


武田耕雲斎の銅像。



武田耕雲斎ら352名が斬首された地に塚が築かれ墓碑が建てられています。国指定史跡。

来迎寺

武田耕雲斎等の墓から東へ100mほどの地に建つ寺院。
こちらの山門は敦賀城の中門を移築したものと伝わります。敦賀城は蜂谷頼隆が築き、大谷吉継が城主を務めたことでも知られる城郭で、市街地に築かれた平城ですが、元和の一国一城令で廃城となり、現在その遺構は失われてしまいました。

帰路

敦賀駅へと戻り、自転車を返却して帰途に着きます。
北陸本線で米原に出て、新幹線で帰還しました。



敦賀駅で購入した駅弁「炙ります寿司」。
絶品です。また食べたい。