日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

愛知の城めぐり旅8〜野間大坊〜

※2012年3月18日の記事です


源義朝最期の地である知多半島の野間。
義朝の墓がある野間大坊(正式には大御堂寺)を訪ねました。


野間駅から徒歩10分で到着。
境内には屋台が出ていて準備中でした。何か祭りでもあるのかな。


まずは源義朝公御廟を参拝。


義朝の墓とされる宝篋印塔の周りにはうず高く積まれた木太刀が。
長田忠致・景致父子に湯殿で騙し討ちにされた義朝が「せめて木太刀の一本でもあれば」と叫んだという言い伝えから、祈願者はここに木太刀を奉納するのだそうな。


傍には鎌田政家夫妻の墓。
義朝の乳母子で一の郎党の鎌田政家も義朝と共に討たれました。妻は長田忠致の娘。まさか舅に裏切られることになろうとは思っていなかったでしょう。


池禅尼の経塚もありました。源頼朝が建てたものと伝わります。


こちらは織田信孝の墓。突然源平時代から戦国時代に飛びましたが、信孝もまた当地で没しています。
賤ヶ岳の戦い前哨戦で秀吉に降伏した信孝は野間大坊へと送られ、次兄信雄の命で自刃に追い込まれました。


本堂。


客殿。本堂から西へ100mほど離れたところにあります。県指定文化財


本堂と客殿の中間にある鐘楼。
ここに架かる梵鐘は、鎌倉幕府五代将軍藤原頼嗣により寄進されたもの。とはいえまだ子供の頼嗣が主体となった可能性は低いですが。



ところで、境内で目に付いたのはこれら源義朝の幟。大河ドラマ平清盛」に登場したことで、町おこしに繋げようとしているようです。イケメンイラストは地元美浜町のキャラクターでしょうか。
でも「美浜幕府」って・・・ここは義朝の本拠地じゃなくて長田忠致の本拠地でしょうに(汗)



野間大坊から東へ200mほどに「源義朝公関連史跡 はりつけの松」なる案内板が出ていたので行ってみました。


長田忠致・景致父子は後に源頼朝の命で磔となり処刑されたといい、その場所がここの松だということです。
ただ実際のところ長田父子のその最期は諸説あって判然としません。頼朝に処刑されたというのも因果応報論の要素が強く、虚構の可能性が高いように思います。


はりつけの松からの眺め。中央の森が野間大坊の境内です。