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日本史日誌

いまは旅行記で精一杯だけど・・・

周遊きっぷ岡山・倉敷ゾーンの旅/4日目/瀬戸内市・備前市ドライブ

本日は列車から一旦離れ、駅レンタカーを利用して東備前をめぐりました。
閑谷学校池田輝政墓所牛窓の港町などを訪ねました。


(2/19更新完了…冒頭写真は閑谷学校

曹源寺

8時過ぎに岡山駅前を出発。大都会岡山を後にして県道28号を東へ進み、東山峠を越えてまず最初の目的地に到着しました。
東山峠は「峠」と言っても、ちょっとした坂道くらいのレベルですが、6年前は自転車で越えていったのだから大したものだと我ながら感心。


ここは岡山藩主池田家の菩提寺。境内は広大です。


池では蓮の花が満開でした。



三門・仏殿などの建造物は風格を感じますが、文化財の指定は無し。


庭園・池田家墓所への入口。拝観料100円です。



大きな池泉を持つ庭園。



庭園の奥に岡山藩主池田家歴代の墓所があります。国指定史跡「岡山藩主池田家墓所 附 津田永忠墓」のひとつ。
6年前に初めて訪ねたときは、かなり広大に感じましたが、その後、全国各地の大名家墓所を訪ねているためか、今回はあまりそのような印象を受けませんでした。
なお、初代・光政および8代・慶政、9代・茂政は、後ほど訪ねる和意谷の山中に眠っています。

大多羅寄宮跡

赤穂線大多羅駅の北側高台、江戸時代初期に岡山藩内の1000社を越える社祠を合祀した大多羅寄宮の跡地です。国指定史跡。




結構な急勾配の坂を登ってきただけあって見晴らしが良いです。大多羅駅から近いので徒歩で訪ねようかとも考えていたのですが、猛暑の中ではかなりしんどいことになったと思われ、車で訪ねたのは正解でした。

餘慶寺

吉井川を越えて瀬戸内市に入りました。ここは現在6つの支院を抱える天台宗寺院です。


江戸時代中期再興の本堂(観音堂)は重要文化財


三重塔は県指定文化財です。

牛窓本蓮寺

岡山ブルーラインから県道39号を走って、一気に牛窓に到着しました。牛窓は瀬戸内の海上交通の要衝として栄えた港町。
その牛窓を代表するのがここ本蓮寺です。江戸時代には、朝鮮通信使の接待所ともなりました。現在、鞆福禅寺(広島県)・興津清見寺(静岡県)とともに国指定史跡「朝鮮通信使遺跡」となっています。


境内は上下二段に分かれていました。下段は庫裏や客殿などがあります。



上段は中門(重要文化財)から向こう。


左手前の本堂(重要文化財)から、祖師堂と三重塔(ともに県指定文化財)を見る。


反対に三重塔側から本堂と祖師堂を。


上段の奥に番神堂(重要文化財)があります。


番神堂は、右から東祠・中祠・西祠の3棟構成。


境内からは、朝鮮通信使も眺めたであろう牛窓の海が今でも望めます。

牛窓界隈


僅かではありますが、昔の面影を残す街並み。


海遊文化館は旧牛窓警察署庁舎。その背後には本蓮寺の三重塔が。


港町としての繁栄はもう見られませんが、たくさんの小型船が停泊していました。

寒風古窯跡群


牛窓から北へ3kmほど。古代須恵器窯跡です。国指定史跡。


近くには寒風陶芸会館があり、出土品の展示や陶芸教室を開催しています。



ここからは岡山ブルーラインをかっ飛ばして一気に備前市へ。もともとは有料道路だっただけあり、とても走りやすかったです。備前ICで降りて、近くにあった備前海の駅で昼食をとりました。

閑谷学校石門

閑谷学校に向かって北へ北へと進んでいくと、ちょっと手前に閑谷学校の校門として建てられた石門があります。


門柱の高さは3.8mだそうですが、現在はほとんどが地中に埋もれた状態になっています。

閑谷学校

本日第一の目的地です。岡山藩池田光政が庶民教育のために設けた郷学。当時の建物が保存整備されており、多数の重文建造物を擁しています。
特別史跡閑谷学校 附 椿山・石門・津田永忠宅跡及び黄葉亭」として、広域に指定されています。にしても名称が長すぎる・・・附けたり以下は必要なんでしょうか。なお、椿山は見逃してしまいましたorz


重要文化財の校門(鶴鳴門)。正門にあたります。現在の出入口はこの右手に。


校地を取りまく石塀も重要文化財です。
上部が丸みを帯びた美しい切り込みハギで、総延長700mは越えます。


入場料300円。敷地はかなり広いです。


閑谷神社。創始者池田光政を祀っています。



拝殿・本殿など全て重要文化財です。


お隣は孔子像を祀る聖廟。


大成殿をはじめ、こちらも建造物は全て重要文化財です。


大成殿内の厨子に孔子像が収められています。


そしてこちらが国宝の講堂。堂々とした佇まいです。






内部見学も出来ます。


講堂の奥、細い通路を進んでいきます。


資料館がありました。私立閑谷中学校本館として建てられた建物で、国登録有形文化財

津田永忠宅跡


閑谷学校を出て、東へと続く小道を歩いて5分ほど。
津田永忠は池田光政の命を受けて閑谷学校を創建した人物。その他、後楽園や曹源寺、和意谷池田家墓所などの造営を手掛けています。凄いですね。

黄葉亭


休息所として建てられ、来客をもてなしたりしたところ。川っぺりで風雅な佇まいです。

和意谷敦土山池田家墓所

閑谷学校を後にして、山陽本線吉永駅前を通過し、和意谷川沿いの山道をひたすら北上して15時過ぎにようやく到着。
池田輝政池田光政などが眠る場所です。国指定史跡「岡山藩主池田家墓所 附 津田永忠墓」のひとつ。


入口の石鳥居から池田輝政の墓(一のお山)までは1140m。山道の1kmって相当なものです・・・でもここで引き返すことなど出来ませんよね。とにかく前進あるのみです。


徒歩20分でようやく到着。
池田輝政の墓(一のお山)です。輝政自身は岡山との縁はありませんが、岡山藩主となった孫の光政により、京都の妙心寺からこの地に遺骨が運ばれ、改葬となりました。


墓石は亀趺の上に立っていました。近くに碑石もありましたので、神式によるものでしょうか。ただし鎮石がありませんから、会津松平家とは異なるのかも。


続いて池田利隆夫妻の墓(二のお山)。利隆は輝政の長男で光政の父。若くして亡くなったため、幼少の光政は姫路から鳥取へと転封されました。(後に鳥取から岡山へ。)


こちらは池田慶政夫妻の墓(四のお山)。慶政は中津藩主奥平昌高の子で、養子として岡山藩第8代藩主となりました。


そして池田茂政夫妻の墓(五のお山)。茂政は水戸藩徳川斉昭の子で、徳川慶喜の弟。慶政の養子で第9代藩主です。



最後に池田光政夫妻の墓(三のお山)。名君として知られる大名です。
墓所はそれぞれ山中に点在しているので、訪ねた順に紹介しました。



さて、この時点でもう16時。残された時間も少ないので先を急ぎます。

津田永忠の墓

和気町に国指定史跡「岡山藩主池田家墓所 附 津田永忠墓」の附けたり部分があります。


塚が5つ並んでいます。


向かって右から2番目が津田永忠の墓。その他は妻子の墓です。


墓所は高台にあり、前面が開けているので景色がいいです。

浦間茶臼山古墳

和気町から南下して備前市伊部へ向かい、先日行けなかった伊部西大窯跡・伊部北大窯跡を訪ねようと思ったのですが、車を止める場所がなく、伊部駅前まで来てしまいました。これなら後日電車で来れば良いということで、先を急ぐことにしたのですが、結果論としては無駄な遠回りとなってしまいました。おまけにこの後、国道2号が渋滞しており、浦間茶臼山古墳国史跡)にたどり着いたのは18時。日没まで時間もないので遠景写真だけ撮って、次へと向かいました。

両宮山古墳


巨大な前方後円墳で国指定史跡。ここも遠景撮影のみ・・・でも東側からじゃなくて環濠の残る西側にするべきでした。

備前国分寺跡



両宮山古墳のすぐ西側。国指定史跡。
もう18時半過ぎ。20時までにレンタカーを返却しないといけませんから、余裕をもって岡山駅前に帰ることにしました。



本日の走行距離145km。